中心部

中心部地図

 現在のJR仙台駅西口に広がる市街地は政宗公の町割り以来の城下で約400年の歴史を持つ町である。北部・東部は開府当時は城下外縁で寺小路として多くの寺院が置かれ,その内側に主に中小の侍屋敷が配された。以後数度の城下拡張により寺小路の寺院の多くは更に東部に移転したが町の骨格は維新後まで維持され,明治以降も鉄道や市電の開通で発展した。昭和の戦災とその復興で町の様相は一変したが,現在も東北随一の都市の中枢として賑わっている。

丸の内に竪三つ引き両 125 瀧澤神社 Takizawa jinja
2007.03.21

瀧澤神社
瀧澤神社鳥居扁額
鳥居扁額

 かつて川内亀岡の現亀岡八幡宮の地にあり, 一時現錦町公園にあった梁川八幡との社地交換で天和3年(1683)移転した。戦災復興時に道路東向の現在地に移転し現在に至っている。(青葉の散歩手帖)


✽ 所在地:青葉区本町2丁目11-7,主祭神:瀬織津姫命,例祭:5月15日

瀧澤神社境内の石碑群

境内の石碑群。
手前が芭蕉の句碑「蕉翁碑」。割れてます。文政11年(1828)建立。鳥居前の奥の細道案内柱の由縁。

 

公園に面して,小さいながらも存在感のある神社です。

丸の内に竪三つ引き両 三体星 126 成就山満願寺 Manganji
2007.03.21

 天正元年(729)行基菩薩奥州白河郡関山に堂宇を創建し,光明皇后御身佛聖観音菩薩を安置し,山号を成就山満願寺光明院と下賜せられ,伊達念西公観世音菩薩を信仰せられたる因縁に依り建武2年(1355)8月10日,伊達(6世)基宗逝去の際,其の菩提所となる。天正年中,政宗玉造郡岩出山に移り堂宇を建立し,観世音菩薩を安置し信仰し,之れ関山の満願寺より移建したる意味なり。慶長年中,政宗青葉築城せらるに及び,城東良隅に地を撰び,堂宇を建立し,岩出山より観音菩薩を勧請奉安し,寺領3貫6百文を黒川郡に賜いて祈願所とす。当山之れなり。享保11年(1726)火災を罹り当時の美観を失う。同19年(1734)小再建す。慶応2年(1866)再度の火災に罹り,庫裡,倉庫等失う。同年再建す。昭和20年(1945)7月9日夜半より10日未明に至る空襲被害にあい,観音堂,普賢堂,十王堂,鐘楼堂,仁王堂,仏像55体,大般若経6百巻,荘厳具等,全部消失し,昭和61年(1986)観音堂兼本堂復興し現在に至る。今般山門新築に際しこの由来を建立す。平成19年3月吉日(門前元寺小路満願寺観世音菩薩の由来碑より 西暦補記)

 天台宗。明治以降,神社庁や都市計画道路に割愛し敷地は縮小したが,仙台移転当初から一貫して現在地にある。藩政時代隣接し明治維新後に廃寺となった宝光院の観音像も併せて安置している。仙台三十三観音第8番(宝光院),第9番(満願寺)札所。

✽ 所在地:青葉区本町1丁目9-10,本尊:阿弥陀如来

本堂を兼ねた観音堂は2つの札所も兼ねて立派なお堂です。堂前両脇に三十三観音を示す石柱が2本建っています。

順に仙台駅直結の幹線道路に面して完成したての山門,天王祠,その隣の石仏群。

仙台開府からずっとこの地で頑張っています。観音札所の継承も有難いことです。都心のオフィス街にある異空間です。

丸の内に竪三つ引き両 左三つ巴 137 野中神社 Nonaka jinja
2007.03.21

野中神社入口

 慶長5年(1600)関ヶ原の戦役時,伊達政宗公は戦功により徳川家康から新たに刈田郡を加増され,この年,岩出山から城を宮城郡国分荘千代に移すことになり同年12月24日政宗公は,青葉ヶ崎に登って築城の縄張りを行い,千代の地名を仙臺の文字に改めました。政宗公34歳の時でありました。明けて慶長6年正月11日を吉辰として縄張始の式をあげ,予め設計された絵図に従って町割りが進められ1月末には完了いたしました。当野中神社は,城下建設に当たって政宗公が城下中心と定めた所で,この地を記念するため町割の縄張りに使った縄を集めて土中に埋め,その上に野中神社を祀ったと言い伝えられています。町割の縄を神聖なものとして埋めた敬虔な気持ちは尊く思われます。このように仙台開府に関係深い社ということができるのでありまして,祭礼は,以前は旧暦6月24日で賑やかな夏祭りの一つでありました。さて,第2次世界大戦中の昭和20年7月10日仙台は空襲にあい,焼け野原となり同年8月終戦となりました。昭和21年頃野中神社を復興させ仮社殿を造営いたしましたが昭和61年一番町大通り商店街の街造り完成と共に野中神社の再建を望む声が高まり,伏見稲荷の社殿を模して,記念すべき昭和63年7月10日に再建建立されたものです。今日では,縄に因んで縁結び並びに商売繁昌の神として,崇拝されています。(境内野中神社由来碑)

✽ 所在地:青葉区一番町2丁目7-18,例祭:三社まつり(7月第3土曜日と日曜日)

入口鳥居向かって左の敷地はビルの新築中。これで完全に囲まれます。都会の神社らしくていいか。

社地は2階建て。狭い土地の有効活用。でも写真を撮るには苦労します。社殿は伏見稲荷を模して造られた。商店街らしく商売繁盛はもちろんですが,縄に因んで縁結びというのはなかなかしゃれてます。

 

周囲は全部マンションなどの高層ビルに囲まれていて半間ほどの幅で屈曲した参道の奥にあります。サンモール一番町商店街が中心となって盛り上げていて, 毎年7月下旬にはえびす神社・和霊神社と一緒に三社まつりが行われます。

菊輪に金文字 202 金蛇水神社 Kanahebisui jinja
2007.06.30

金蛇水神社

一番町四丁目三越定禅寺通り館南側,三越本館との間にある小社。岩沼の金蛇水神社の分霊社。終戦直後に復興のために勧請。以来,一番町四丁目の氏神として商売繁盛を願って商店街で盛り上げています。例大祭には神輿が繰り出して賑わいます。

✽ 所在地:青葉区一番町4丁目11,主祭神:金蛇大神 (水速女命),例祭:8月最終日曜日


平成26年(2014)1月1日再訪


203 豊川稲荷神社 Toyokawa inarijinja
2007.06.30

かつて光禅寺の分霊として国分町に祀られていたが,戦災復興の後,現在地に移った。(門前説明板)

✽ 所在地:青葉区一番町4丁目4-13,主祭神:吒枳尼天

 

稲荷小路の呼称はこの神社が由縁と思われます。

稲荷社には神道系の伏見稲荷と仏教系の豊川稲荷の2大稲荷があるそうです。こちらは仏教系。でもやっぱり赤い鳥居なんですね。

298 鏡池山光禅寺 Kozenji
2008.02.11

光禅寺地蔵堂
光禅寺地蔵堂 2008.2読者からの頂き物

 天台宗。仙岳院の末寺。天安3年(859)慈覚大師作と云われる千躰地蔵を祀り青葉山に創建されたと伝わる。慶長6年(1601)仙台城築城に際して城下鬼門除けとして千躰仏の一つである延命地蔵を現在地に移し,地蔵堂の別当寺として当地に移転した。地蔵堂に並んで豊川稲荷がある。国分町豊川稲荷が昭和20年の戦災で焼失した後,その分霊を祀ったものという。そのほか境内には「斬られ地蔵」,種田山頭火の詩碑がある。

✽ 所在地:青葉区上杉4丁目4-50,本尊:地蔵菩薩

順に豊川稲荷,山頭火の詩碑と斬られ地蔵,よく分かりませんが供養碑です。

稲荷小路の豊川稲荷には光禅寺の分霊とありますが,こちらも分霊とのこと。どちらが本家なのでしょうか?ところで,豊川稲荷の向かって右隣に地蔵堂(光禅寺本堂?)があるはずなんですが…せっかく出向いても写真がなけりゃ…。と,嘆いていたら当HPご覧の方から提供頂きました。ありがとうございました。('08.02.28)

斬られ地蔵はかつて夜中に人を見れば笑ったが,ある夜,剣の達人を笑ったところ袈裟懸けに斬られ鮮血を流し,以降は笑わなくなったと云います。

 

久しぶりの寺社巡りでしたが,まだ寒い季節で写真にも残雪が見えます。少し歩くと汗ばんではきましたが,集中力欠如でした。でも写真を頂けてよかったです。

行者輪宝 410 三瀧山不動院 Mitakisan fudoin
2010.11.11

三瀧山不動院内部
三瀧山不動院入口
三瀧山不動院扁額

 真言宗智山派。慶応元年(1865)当地の加藤竹女が眼病平癒を祈願した満願前日にはからずも拾い上げた不動尊を祀ったのが始まりという。現在の本尊は木像二尺八寸,東二番丁住人・中川兵衛仏師の安生3年(1857)作。


✽ 所在地:中央2丁目5-7,本尊:木造不動明王,祭礼:7月27.28日

仙台が誇る中心街商店街。アーケードの中にある不思議な空間です。山門を潜ると小さいながらも仲見世が。ミニ商店街ですね。 本堂の写真はストロボを使わず,神経も使わなかったため完全に手ぶれになりました。1枚しか撮らなかったので替えがききません。(泣)

三瀧山不動院前のアーケード

前面のアーケードに懸かる大きな仙台四郎。しかもサンタクロース仕様。ちょっと早くないですか?でも,人目は引くなぁ。普段,ここには不動院の赤ちょうちんがあったのではなかったかな?

 

三瀧山不動院には何故か仙台四郎像が安置されています。仲見世でも四郎グッズが販売されていたりしますが,何か当院との由緒があるのでしょうか。