大崎八幡宮の門前一帯を八幡町と呼ぶ。慶長の遷宮以降,東隣の龍寶寺が別当寺となり,付近は城下一の門前を成した。 寛文の城下町絵図には龍寶寺門前との記載がある。町屋も多かったが一帯が龍寶寺の支配に属し,諸役を同寺に収めていた。 昭和初期には市電端末が置かれるなど賑わいを見せ,現在も山形への主要経路である。
045 大崎八幡宮 Osaki hachimangu
2006.07.17
延暦20年(801)蝦夷征伐の折,坂上田村麻呂は武門の守護神,宇佐八幡を勧請して奥州市水沢に鎮守府八幡宮を創祀。大永7年(1526)奥州管領大崎氏がこれを自領内の大崎市田尻に遷祀し大崎八幡宮と称した。天正18年(1590)大崎氏の滅亡後,伊達政宗は岩出山に
御神体を一時遷したが,仙台開府の慶長7年(1602)城の北西の高台に遷宮し,同9年(1604)~12年(1607)の工事で現社殿を完成させた。
また,政宗が岩出山に御神体を一時遷した際,同時に米沢の成島八幡も分霊して大崎八幡と合祀している。成島八幡宮は鎮守府八幡より以前の宝亀8年(777)創立で,蝦夷の反乱討伐に派遣された大伴駿河麿が宇佐八幡に念じ勝利したことに感謝し建立,大同2年(807)蝦夷征伐で米沢を訪れた坂上田村麻呂が戦勝を祈願して社殿を造営した。伊達氏も米沢を支配するようになって代々崇敬し,慶長5年(1600)秀吉に岩出山移封を命ぜられた政宗が分霊し移したものである。大崎八幡宮の社殿は入母屋造りの本殿と拝殿を石の間で繋いだ権現造りで,安土桃山時代の最古の遺構として国宝に指定されている。平成16年(2004)修復。
✽ 所在地:青葉区八幡4丁目6-1,主祭神:応神天皇,仲哀天皇,神功皇后,例祭:9月14,15日
メインの参道に大きな鳥居が4つもあります。長い参道なのでこれもありかと。
作並街道からの入口,朱塗りの大鳥居が一の鳥居。昭和63年鎮座380年を記念して建てられました。
続いての二の鳥居は4代藩主伊達綱村寄進の石鳥居。寛文8年(1668)建立。かっこいい。
石鳥居を潜ったあとの急な石段を登りきったところにある赤鳥居が三の鳥居。享保3年(1718)5代藩主伊達吉村寄進。まだまだ参道は半分も行っていない。
長い静かな参道です。駐車場から北参道(裏参道)に入る所にあるのが北参道鳥居。青森ヒバの素木造り。本殿改修の後,平成17年に新しくできました。
鳥居扁額の文字は吉村公自らの筆によるもの。一の鳥居扁額は三の鳥居扁額のコピーです。
北参道鳥居は次の年に行ったら赤く塗られていました。扁額も同じものが掲げられています。
権現作り社殿の前,本殿に対する拝殿のような位置に長床があります。中央の通り抜け土間の左右に座敷?が。今は使われていないように見えます。質素な造りで本殿との対比に妙があります。
長床の南口と内部通路北側に掛かる扁額
長床前の西側にある境内社。手前南から竜神神社,北辰社,鹿島神社,諏訪神社,大元社。
色・装飾がすばらしい!これだけ近くに国宝を眺められるのは幸せです。豪華絢爛と落ち着きが同居しています。
改修したばかりの初々しい社殿は創建当時と同じ輝きで魅了します。太く大きな並木の参道は真っ直ぐにどこまでも続くかのよう。静かでまさに神域を感じます。と,姿は見えませんが,隣の中学校から吹奏楽部の金管の音。これもまた静けさを増幅させていました。
平成27年(2015)4月16日再訪
桜咲く石鳥居とその先の大石段。98段とも100段とも言われます。石段の上に赤鳥居が見えます。
北参道と北参道鳥居。いずれも北側からの眺め。鳥居には赤鳥居扁額のコピー扁額が掛けられました。
新緑の季節はもう少し先ですが,この参道のモミジは少し早い春の芽吹きで爽やかさを増しています。
046 恵沢山龍寶寺 Ryuhoji
2006.07.17
真言宗御室派別格本山。創建は大崎八幡宮と同時期の平安期で坂上田村麻呂によるものと推察される。文治2年(1186)伊達1世朝宗が常陸中村に再興して自家の祈願寺とした。その後,伊達家に従い梁川,米沢,岩出山を経て慶長3年(1598)伊達政宗により城北の当地に移創し,八幡宮落成の際にはその落慶法要を勤めた。寺領二百七十石を附された一門格寺院。6院と門徒2庵を持ち,門前(龍寶寺門前)は八幡地区一帯に城下最大の規模を成した。明治維新後は衰退し,庫裏と釈迦堂だけが残ったが,昭和59年(1984)に金堂再建,昭和63年(1988)に多宝塔が新築されるなど,現在までに復興している。 本尊の釈迦如来立像は金売り吉次が京より勧請したと伝えられる如来で,八幡宮の本地仏として4代綱村が栗原市金成の福王寺にあったものを勧請し,文殊,普賢両脇仏を添え当寺に安置した。京都嵯峨清涼寺の模刻仏像伝来の北限といわれ,国指定重要文化財。
✽ 所在地:青葉区八幡4丁目8-32,本尊:釈迦如来立像
山門は1間1戸の四脚門
金堂は昭和59年の再建。
平成30年5月12日再訪
もちろん参詣はしたのですが,新規の写真は扁額のみ。
順に釈迦堂,多宝塔,境内の稲荷社(有巴崎正一位稲荷)。維新後も残ったという釈迦堂は山門を入って正面にあります。多宝塔は昭和63年,中興800年記念事業での建立です。
047 観瀧庵観音堂 Kanroan kannondo
2006.07.17
龍寶寺門徒「観瀧庵」は明治になって廃寺となり,観音堂だけが残った。仙台三十三観音の第二番札所で本尊は千手観音。
✽ 所在地:青葉区八幡5丁目3-12,本尊:千手観音
間接情報(ネット)で申し訳ありませんが,当地は民間地であり,管理してきた方が亡くなったため,平成27年(2015)3月,観音像は新坂町の充國寺に遷座したようです。現在の二番札所は充國寺です。
あらためて,かつて訪問した際に親切にご案内して下さったご老翁を思い出します。ご冥福をお祈り致します。
このお堂も撤去されたようです。せめてもう少し,ましな写真が撮れていればよかったのですが…。
(2018.5記)
048 紫雲山来迎寺 Raigoji
2006.07.17
浄土宗。寛永年間(1624~43)開山。境内にモクリコクリと呼ばれる延元2年(1337)の板碑がある。
✽ 所在地:青葉区八幡5丁目1-8,院号:惠光院,本尊:阿弥陀如来
049 延命地蔵堂 Emmeijizodo
2006.07.17
来迎寺の東向,旧北五十人町で見つけた地蔵堂。北五十人町は慶長年間に政宗と共に岩出山から移った足軽五十人衆が住んだ所。西端,ちょうどこの辺りに円徳寺という寺があったという。地蔵堂はその名残かもしれません。
伊達政宗が仙台を開府する少し前,大崎地方の豪族・葛西氏を攻めたが,逆襲に遭ってほこらに身を隠して生き永らえた。そのほこらにあった地蔵様に感謝するため,お堂を建立して地蔵様をこの場所に安置し,守護役として足軽50人を配置した。
(地元に伝わるいわれ 祈りの街~仙台三十三観音を訪ねる~ 横山寛 著/河北新報出版センター 2011.12.19)
050 縛不動堂 Shibari fudodo
2006.07.17
寛政年間(1789~1801)一体の地蔵様が広瀬河岸に流れつき縄を巻きつけたところ悪いことが起こったので縛不動明王として祀った。 昭和10年(1935)町内有志が現在地に移し守り神とした。(社殿掲示の説明板)
✽ 所在地:青葉区角五郎1-7
051 愛宕神社 Atago jinja
2006.07.17
創建は不詳だが,宝永7年(1710)龍宝寺門前から出火し,仙台北部全域を焼失する大火があったため,防火鎮火の愛宕神社がこの地に 祀られたのではないかと推測されている。(杜の散歩道)
✽ 所在地:青葉区八幡1丁目4-3,主祭神:火産霊神,例祭:7月23日(現在は7月下旬の土曜)
宮城一女高の北側にある小さな愛宕神社。国道から行き止まりのような路地に入りますが,国道入口にはちゃんと石柱が建っています。
052 宝林山弥勒院 Mirokuin
2006.07.17
真言宗智山派。慶長6年(1601)開山。以前は川内扇坂にあったが,明治元年(1868)現在地に移転した。(青葉の散歩手帖)
本尊は弥勒菩薩であったが火災で焼失し,現在は大日如来像。境内に嵯峨天皇による曼荼羅経文一巻が納められた宝篋印塔がある。(杜の散歩道)
✽ 所在地:青葉区八幡1丁目4-19,本尊:大日如来
053 春日神社 Kasuga jinja
2006.07.17
この付近はもと覚性院丁と呼ばれ,その町名の元となった覚性院(かくしょういん)は寛永19年(1642),国分盛重の子実永が2代忠宗に請い現東六番丁小学校の地に 建てた寺である。東照宮造営に際して寺地が仮宮とされたため慶安元年(1648)この地に移った。春日神社は盛重の氏神で覚性院境内に建てられたものである。覚性院は明治元年(1868)に廃寺となり,春日神社だけが当地に残っている。
社殿は平成19年(2007)に新築されて立派になりました。
社殿裏に社殿と背中合わせに稲荷社があります。
鎮座350年記念と書かれ,西暦2000年頃の建立でしょうか。覚性稲荷というそうです。
平成26年(2014)4月13日再訪
絶好の桜日和となり,ここを思い出して再訪しました。思った通りの満開の桜です。今日は風もなく暖か。近年これほどのお花見日和はあっただろうか。気持ちがいいね。
社殿新築に合わせて参道と鳥居も再整備されています。鳥居は木製。扁額は以前のものと同じです。社殿の前に小さな鳥居が造られています。裏手にまわった所にある覚性稲荷にも変化が。こちらの鳥居も木製素木に新造されました。社殿はそのままのようです。
054 金台山龍雲院 Ryuunin
2006.07.17
曹洞宗。慶長2年(1597)伊達政宗により当地に創建。政宗の仙台進出の先遣として造営されたといわれる。(境内掲示説明板)慶長10年(1605)(青葉の散歩手帖)慶長11年(1606)輪王寺住職の隠居寺として開山。(杜の散歩道)江戸後期の思想家・林子平の墓がある。 子平は姉が仙台藩6代藩主伊達宗村の側室となった縁で兄が仙台藩士に取り立てられ宝暦7年(1757)仙台に移った。「三国通覧図説」や「海国兵談」 を著し海防の必要性を説いたが,幕府から人心を惑わしたとして蟄居を命ぜられ、版木、製本ともに没収された。不遇の中,寛政5年(1793)56歳で病没し龍雲院に葬られた。親もなし 子なし 妻なし 版木なし 金もなければ 死にたくもなし の狂歌が有名。罪人のため墓碑を建てることを許されず,天保13年(1842)になってようやく許され,甥の林珍平によって建てられた。国の史跡に指定されている。また,境内には細谷十太夫の墓と坐像,リンゴの唄作曲者の万城目正の墓もある。 細谷十太夫は戊辰戦争の際,民兵による「鳥組」を組織して官軍と戦い,明治時代は陸軍少尉として活躍した。晩年は出家し,かねて敬慕していた林子平の墓所である龍雲院の住職となり,当寺の復興に尽くした。十太夫の座像は細谷地蔵といわれる。
✽ 所在地:青葉区子平町19-5,本尊:釈迦如来
山門は1間1戸の四脚門。中は何かの工事中。本堂の中からは読経の声が聞こえました。
林子平の墓は覆屋でしっかり保護されています。
二体のお地蔵さんのうち,右が細谷地蔵です。 荒廃していた当寺の復興道半ばで亡くなり,息子が大正8年(1919)に本堂,庫裏を完成させたとのことです。
境内にはこの他にも子平像を安置した六角堂,リンゴの唄の歌手・並木路子が植樹した木,子平考案の日時計レプリカなど色々あります。 この付近の町名「子平町」も林子平に因むものでしょう。
055 宝珠山壽徳寺 Jutokuji
2006.07.17
曹洞宗。伊達16世で政宗の父,輝宗の位牌を安置する。はじめ福島市佐原にあり,慈徳寺といった。天正13年(1585)二本松城主畠山義継の 企てによって既に隠居の身であった輝宗が人質となり非業の死を遂げた時,荼毘にふされた寺である。その後,政宗の移封に伴い岩出山に移り,更に慶長6年(1601)仙台開府に当たって現在地で輝宗を開基として建立された。入口が丸い山門が特徴。禅宗の悟りである大円鏡智(だいえんきょうち)をあらわすとされる慶応2年(1866)に建立の薬医門。 これにより当寺は「丸門寺」の呼称がある。
✽ 所在地:青葉区国見1丁目15-1,本尊:木造宝冠釈迦如来坐像(南北朝時代)
入口からすぐに山門,本堂が見える。山門は珍しい形。通るためのものではないですね。
このほかに案内看板によれば300年の歴史を持つという庭園もあるということですが,残念ながら見えません。史跡として有料でも輪王寺のように 観光客にも見せて下さるとありがたいのですが…。
平成30年(2018)11月14日再訪
毎年,秋になるとこの二本の紅葉(黄葉)が気になっていました。本堂西の墓地にあります。時期とか時間とか気にすればもっといい写真になるはずですが…
095 藤森神社 Fujimori jinja
2007.01.14
マンションの敷地内裏手にある小さな神社。由緒等わかりません。
✽ 所在地:青葉区八幡4丁目2-10
大崎八幡宮の「どんと祭」の日に行ってきました。まだ松の内ということでお供えなどもあり,大事に祀られているのではないでしょうか。
351 瀬田谷不動尊 Setaya fudoson
2008.11.01
江戸時代初期の創建と思われます。仙台城築城の際に堺からここ石切町に移り住んだ石工たちの氏神でした。本尊はこの地の天然石を彫ったものだそうです。さすが石工。
別称:石尊(せきそん)神社。
✽ 所在地:青葉区八幡2丁目11-24
平成26年(2014)4月13日再訪
近くの春日神社と一緒に再訪です。こちらは以前と変わった所はないようです。この時代,変わらないことは逆に大変なことだと思います。
409 寛行院大日如来堂 Kangyoin dainichinyoraido
2010.11.07
天台宗。延宝7年(1679)開山の寛行院のお堂。寛行院はその後廃絶に瀕したが天明年間(1781~89)に大日如来堂として中興。平成20年(2008)10月に火災で焼失したが,翌21年には再建された。
✽ 所在地:青葉区八幡4丁目5-2,本尊:天然石彫出大日如来
大崎八幡宮綱村の石鳥居を過ぎてすぐの西側にあります。 失礼なことに初め大崎八幡宮の項に掲載していましたが,再建を期に独立項にしました。全くといっていいほど火災前と同じに再建されました。良かった。
平成27年(2015)4月16日再訪
仙台では未・申歳生まれの守り本尊とされています。