六郷

 六郷西部
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六郷西部

六郷西部地図

六郷村は明治22年の町村制施行により沖野,飯田,日辺(にっぺ),今泉,二木(ふたき),井土浜,種次(たなつぐ),藤塚の8村が合併した村だが, 古くは二木・井土浜あたりは三本塚,種次・藤塚あたりは土師塚(はじづか)と呼ばれる郷(村)であり,沖野郷などと合わせて六郷と呼ばれていた。 昭和16年(1941)仙台市に合併。多くは市東南部に広がる水田地帯であるが,沖野から今泉に至る西部は郊外住宅地となっている。

輪違い 275 千手山満蔵寺 Manzoji
2007.11.25

満蔵寺観音堂

真言宗豊山派。奈良長谷寺の末寺。延宝6年(1678)開山だが由緒等不詳。本尊は不動明王。 観音堂は千手観音を祀り,仙台三十三観音の第27番札所。 かつて青葉山にあり,仙台の名の由来ともなった千躰地蔵の一部も観音堂に祀っている。

✽ 所在地:若林区上飯田3丁目15-1,院号:観音院,本尊:不動明王

 

本堂・境内は工事中でした。入口付近の観音堂のみの参詣となりました。

276 円浄寺観音堂・八坂神社(今泉) Enjoji kannondo and Yasaka jinja
2007.11.25

円浄寺観音堂・八坂神社入口

元亀2年(1571)開山の天台宗寺院である観音山地蔵院円浄寺は明治25・6年頃に廃寺となり, 本寺の光円寺に併合された。 聖観音を祀り仙台三十三観音28番札所の観音堂だけが残っている。 寺地はかつての今泉城址で,中世に当地を支配した国分氏家臣須田玄蕃の館であった。
観音堂の西隣に八坂神社がある。安永元年(1772)の封内風土記に「熊野神社と牛頭天王社(八坂神社)が何時勧請か不詳」との記載がある。 熊野神社は二木の日吉神社に合祀されたが,当地の八坂神社には熊野神社の表札も掲げられている。

✽ 所在地:若林区今泉2丁目9,本尊:聖観世音菩薩,主祭神:素戔嗚命

円浄寺観音堂
円浄寺観音堂。仙台三十三観音28番札所
円浄寺観音堂 八坂神社 春日神社
手前から 観音堂,八坂神社(熊野神社),春日神社
八坂神社(今泉)と春日神社
八坂神社(熊野神社)と春日神社(奥)

西六条下り藤 277 今泉山祐善寺 Yuzenji
2007.11.25

浄土真宗本願寺派。山号は「こんせんざん」と読む。伊達政宗家臣の立花主膳一吉が天正年中(1573~1592)米沢口の戦で負傷し僧籍に入り,元和3年(1617)土地を拝領して開基。観音堂は仙台三十三観音29番札所。 鎌倉時代作と伝わる十一面観音が祀られている。今泉城跡から昭和7年(1932)に移された。

✽ 所在地:若林区今泉2丁目11-13,本尊:阿弥陀如来

祐善寺本堂と鐘楼
本堂と鐘楼
祐善寺観音堂
観音堂。29番札所。昭和7年の建築?

仙台三十三観音のうち,5観音が六郷にあります。更にそのうち3つが今泉に。 祐善寺の観音様は今泉城址にあったといいますが,昭和までどのように保存されてきたのでしょうか?

278 高福院観音堂 Kofukuin kannondo
2007.11.25

高福院観音堂

廃寺となった天台宗寺院高福院の観音堂。高福院の由緒や寺跡は不明。仙台三十三観音30番札所で本尊は飛観音と云われる聖観音。今泉集落東の水田にこの観音像が飛来し,その場所から泉が湧き出たという。以来,人々はこの土地を観音田(かんのんだ)と呼び,この観音様の巡礼御詠歌「いにしへもさぞなありけん今泉 わきてながるる末が末まで」は,この地一帯の地名「今泉」の由来となった。

✽ 所在地:若林区今泉2丁目17-75

 

荒町皎林寺の飛観音は千手観音でしたね。 ここの聖観音は飛来した土地の所有者によって今も管理されているとのことです。

279 三日月不動尊 Mikazuki fudoson
2007.11.25

三日月不動尊
三日月不動尊鳥居扁額
鳥居扁額

✽ 所在地:若林区日辺宅地44

これも個人所有のお堂だそうなので,入口だけで失礼しました。昭和15年頃の建立。眼病に効能がある仏様とのことです。


280 光明山徳照寺 Tokushoji
2007.11.25

徳照寺入口

浄土真宗。正楽寺の末寺。寛文4年(1664)開山。現在,新寺小路にある正楽寺はこの場所に慶長12年(1607)仙台近辺最古の浄土真宗寺院として開山したが慶長14年(1609)に移転。その寺跡に当寺が創建された。また,この地は中世の城館だった日辺館の跡ともいわれている。

✽ 所在地:若林区日辺宅地5,本尊:阿弥陀如来

徳照寺山門
山門
徳照寺本堂
本堂

境内には樹木がいっぱいです。地元のお寺という雰囲気です。山門前に天明・天保飢饉の供養塔があります。境内には飢饉の救済にあたった針生林蔵の墓があるそうです。

281 両全院観音堂・八坂神社(日辺) Ryozenin kannondo and Yasaka jinja
2007.11.25

両全院観音堂・八坂神社入口
境内入口の八坂神社鳥居。幅広でガッチリしています

往古,天台宗寺院の本木(もとき)山観音寺があり,荒廃して後に修験寺の両全院として再興されたが,これも明治初期に廃寺となり,観音堂だけが残った。 本尊の観音像は名取の三観音の一つとされ,慈覚大師が1本の木から造った3体の観音像のうちの一体との伝説がある。 仙台三十三観音の第26番札所。明治15年(1882)の火災で全て焼失し,現在のお堂や本尊は明治末に再建されたものである。 同時期に境内に八坂神社も遷祀されている。

✽ 所在地:若林区日辺田中1-4,本尊:聖観世音菩薩(本木観音),主祭神:素戔嗚命(推測)

名取3観音の他2体は袋原の大善院(落合観音堂), 根岸の常蔵院(現長町)にあります。両全院の観音像は木の根元を使ったので「本木」観音と呼ばれるそうです。火災で焼失とは残念なことでした。

両全院全景
中央が観音堂。向かって左に八坂神社,右に昭和44年建立の弁財天堂が並んでいます

八坂神社社殿扁額には「日野宮八幡神社」との記載も併記されています。日の宮八幡は原始の太陽神信仰にまつわるとされ,かつてこの付近にも祀られていたようです。 安永元年(1772)の封内風土記には「日ノ宮八幡・之が邑名の本」との記載があり,日の宮八幡の辺(あたり)であることが,この付近の地名「日辺」の起源であるようです。

丸に釘抜 282 飯田八幡神社 Iida hachimanjinja
2007.11.25

飯田八幡神社 拝殿と神楽殿
拝殿と神楽殿

寛治年間(1089~93)源義家奥州征伐の時,日辺高田に祠を設けて勧請。慶長5年(1600)飯田の郷士渡辺藤四郎が現在地に移した。 明治5年(1872)旧飯田村社,同22年に旧六郷村社となった。現在の社殿は昭和57年(1982)の新築。

✽ 所在地:若林区上飯田2丁目9-11,主祭神:応神天皇,例祭:春4月15日,秋9月15日

飯田八幡神社入口
入口。鳥居が欠けています
飯田八幡神社 本殿と石仏群
本殿と石仏群

283 楊柳山清凉寺 Seiryoji
2007.11.25

清凉寺入口

曹洞宗。龍泉院の末寺。元亀2年(1571)開山。かつて名取33郷を治めた粟野氏が出城を築きこの辺りの拠点とした沖野城(沖野館)跡に建つ。境内の観音堂は江戸時代の「名取郡誌」「封内風土記」では仙台三十三観音の第27番札所とされる。(「残月台本荒萩」では満蔵寺観音堂とされている。)

✽ 所在地:若林区沖野7丁目43-60,本尊:薬師如来

清凉寺本堂
本堂
清凉寺観音堂
観音堂 現地掲示には27番ではなく29番観音札所とあります

昭和53年(1978)宮城県地震により被害を受け,現在の伽藍等はその後の再建のようです。 開山時期の記載は「六郷を探る会~沖野地区~」(H16.9.15六郷市民センター)に依りました。他の文献では慶長3年(1598)の記載も見られます。

 

東日本大震災でも被災しましたが,復旧完了しているようです。(H25.8)

左三つ巴 284 沖野八幡神社 Okino hachimanjinja
2007.11.25

沖野八幡神社入口

文治3年(1187)粟野大膳が沖野城を築くにあたり城内に勧請。その後,天正年間(1573~91)火災でご神体がこの地まで飛んで遷したため, 現在もその場所に祀られているという。元禄3年(1690)社殿造営(棟札記録)。明治5年(1872)旧沖野村社,同22年に旧六郷村社となった。昭和11年神明社を合祀している。

✽ 所在地:若林区沖野3丁目16-35,主祭神:応神天皇,例祭:春4月15日,秋9月15日

沖野八幡神社拝殿
拝殿は東向き,沖野館の方向を向いて建つ
沖野八幡神社本殿
杉木立の中にある本殿

沖野付近は陸奥国分寺の創建に伴い早くから開けたところと言われており,条里制で大きな碁盤の目状に土地が整理された様子が今でも読み取れます。 農地が海のように沖まで遠く広がる様子が地名の起源とも。近代農業の大規模農地のようでもありますね。 粟野氏の時代に出城が築かれて以後,多くの人が住むようになって寺社も置かれるようになりました。


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 東六郷

東六郷

東六郷地図
畠山稲荷神社を覆う桜の花
畠山稲荷神社を覆う桜の花

東六郷は七郷東部と並んで仙台の一大穀倉地帯。一面の田畑の中に集落が点在し,どこを歩いても道路(農道)と水路が直線的に走っています。 桜の季節も終わろうとしている頃,ここでは春の田植えに今まさに取りかかろうとしている時期でもありました。(2010.5.3記)

 

東六郷は東日本大震災の津波によりほぼ全域が浸水し,大きな被害を受けました。 特に仙台東部道路以東では社殿・堂宇の多くが流失し,残っていても全壊状態です。(2012.9記)

392 水白山長稱寺 Choshoji
2010.05.03

長称寺山門

祖二ツ木正則 天長2年(825)時の空海法師より守り本尊として灰練仏を賜り,蝦夷征伐のため赴き当地に住みつく。2代目二ツ木常廣 元慶2年(878)奥羽の乱を平定。以来,在地領主として21代 即ち七百有余年,武士として続いた。二ツ木家21代二ツ木正義の子 帯刀,天文23年(1554)信州川中島の戦に奥州より援軍として七度の合戦に参戦し,仁信なる功に対し,武田信玄公より褒賞を受けしが,多くの家臣を失ったことを哀れみ,弘治元年(1555)出家,帯刀を玄長と改め真宗に帰依し,一族の霊に長く念仏を称えるため「長稱寺」と号し天正16年(1590)館跡に寺を建立,開山とした。二ツ木家の領地は一族に開発し,二木氏の名を地名として残され,以来,長稱寺は歴代二木家にて継承され法燈を護持し今日(昭和63年3月)に至る。(境内・長稱寺由来碑)

浄土真宗。新寺の正楽寺末。天文23年(1554)の武田信玄の書状があるという。(若林の散歩手帖)

✽ 所在地:若林区二木水神2,本尊:阿弥陀如来

長称寺入口
県道から入る唯一の入口。水田に水が張られ,道路が橋のように見えます。寺地は堀に囲まれたお城のよう
長称寺本堂
本堂

二木正義は武田信玄の家臣で,正義の時にこの地に移り住んだとの説もあるようです。いずれにしても,二木の姓がこの辺りの地名になりました。

久我竜胆 五七桐393 薬王山東禅院 Tozenin
2010.05.03

東禅院入口

曹洞宗。慶長年間(1596~1614)砂押の滝沢寺5世章覚教文和尚の開山で同寺末。この寺に明治6年(1873)種次小学校(後の東六郷小学校,当寺の東に隣接)が開校した。

✽ 所在地:若林区種次寺西62,本尊:薬師如来

 

明治まで藤塚にあった真言宗高福寺が廃寺になった際,当寺が檀信徒の受け皿になったようです。

東禅院本堂
本堂
東禅院小堂
小堂

大震災で浸水しましたが,本堂は残っています。('12/09記)


394 笠神神社 Kasagami jinja
2010.05.03

✽ 所在地:若林区二木笠神

由緒等全くわかりません。地図を見るとこの付近東に笠神という地名と集落があります。 小社ではありますが,集落の成り立ちとも関係しているのかもしれません。

395 日吉神社 Hiyoshi jinja
2010.05.03

日吉神社入口

文亀2年(1502)当地 名取郡三本塚郷(後の北方二木村)に住む勘右衛門なる者が伊勢参宮の際,近江国滋賀郡坂本(現 滋賀県大津市坂本本町)に 鎮座する日吉大社に詣で,大山昨神・大国主神 二神の分霊を請い願い,現在の地に社殿を造営し勧請したと云う。以来,山王権現社と称した。 明治の初め現社号に改称し,同5年(1872)村社に列格。同43年(1910)9月三本塚の畠山稲荷神社,日辺の八坂神社・日野宮八幡神社・宇佐八幡神社,今泉の熊野神社・八坂神社の6社を合祀し,今泉熊野神社本殿を本殿に,三本塚稲荷神社拝殿を拝殿に,今泉熊野神社拝殿を神輿殿に,今泉八坂神社拝殿を社務所に,従来の長床を神楽舎に充てて大改築を行い,同44年(1911)落成。大正4年(1915)11月幣帛供進社に指定される。例祭日には日辺・今泉・二木並びに三本塚各方面に神輿の渡御があり,盛大に行われていたと云われる。現在,神輿殿の中殿に二木・三本塚の大神輿,左殿に今泉の大神輿,右殿に日辺の大神輿をそれぞれ安置している。 二木・三本塚・今泉・日辺の守護神・二木鎮座 日吉神社として信仰崇敬され現在に至っている。(社殿掲示文より)

✽ 所在地:若林区二木字山王23,主祭神:大山咋神,大国主神,例祭:春4月15日,秋旧9月19日

日吉神社境内

参考図書に村内8社合祀との記載もありますが,あとの2社がわかりません。ま,当社掲示に6社とあるので,いいか。 ここの合祀の際は合祀社の社殿のいいところを実際に集めて改築したんですね。地域がまとまっていないと出来ないことです。ちょうど100年前になります。

 

大震災により拝殿,本殿はかろうじて形態は残すも全壊状態。神輿殿,神楽殿は既にありません。

('12/09記)

日吉神社拝殿
拝殿
日吉神社 境内社と石仏
鳥居左側の境内社と石仏(山神)。境内社は海義神社(うみよしじんじゃ)。 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと・弁天様と同神)を祀ります


平成29年(2017)11月26日再訪

日吉神社2017
日吉神社拝殿扁額
拝殿扁額

神輿殿と神楽殿のない境内はやはり寂しい。でも基礎も壊れて建っているのがやっとという状態だった本殿拝殿は見事に復活しました。石碑石仏もできる限り元の位置で再建されているようで,心意気を感じます。鳥居も恐らくかつての物と思いますが,塗り直されて明るくなりました。


山神碑と海義神社も同じ位置に再建されました。さすがに神社の社殿は同じとはいきませんでした。

396 正受山海楽寺 Kairakuji
2010.05.03

海楽寺全景

浄土真宗大谷派。荒町東漸寺の末寺。元禄15年(1702)東漸寺門徒の僧明正が開基,正受庵と号した。 明治3年(1870)海楽寺に改号。昭和53年(1978)宮城県沖地震で本堂が崩れその後新築されている。 また,北に隣接して薬師堂がある。この場所にはかつて八坂神社があった。八坂神社が藤塚の五柱神社に合祀され移転したため,町内の篤農家の屋敷神である薬師堂をここに移したものと思われる。(六郷を探る会「藤塚・井土編」)
平成6年(1994)薬師如来鳥居が建立された。

✽ 所在地:若林区井土宅地19

海楽寺 薬師如来
海楽寺 薬師如来2
薬師如来

薬師堂に目が行ってしまって,お寺の方が疎かになってしまいました。ごめんなさい。薬師堂とお寺は別物なのかなぁ…。当然に別ですね。それにしても天気が良くて暑い春の日でした。6月の気温だということでした。歩くのが気持ちよかったです。

 

大震災により全壊してしまいました。('12/09記)
平成25年6月 本堂復旧との情報あり。よかった。('13/09記)


平成29年(2017)11月26日再訪

海楽寺2017

本堂,薬師堂共に再建されています。以前と変わらぬ佇まいに安心です。何よりでした。

海楽寺2017
海楽寺本堂2017
海楽寺薬師堂2017
海楽寺薬師堂2017

薬師堂にはとうとうこのHPで訪問できなかった井土の八坂神社のご神体も合祀され,当地に里帰りを果たしたようです。平成26年(2014)4月6日再建。

397 茂葉山昌林寺 Shorinji
2010.05.03

曹洞宗。荒町の昌伝庵の末寺。慶長15年(1610)雲室祖龍和尚の開山。

✽ 所在地:若林区二木境堀47

昌林寺入口
昌林寺六地蔵

資料(六郷を探る会「二木・三本塚」)では「皇国地誌」の記載として慶長19年(1614)の開基となっています。 慶長16年(1611)には大津波でこの辺り一帯は水没したということなので,こちらの方が正しいのかもしれません。

昌林寺本堂
昌林寺地蔵堂
本堂向かって左にある地蔵堂

大震災で浸水しましたが,本堂は残っています。('12/09記)


398 畠山稲荷神社 Hatakeyama inarijinja
2010.05.03

天正17年(1589)地元の佐藤氏が建立したと伝わる。両全院が別当であった。 明治43年(1910)日吉神社に合祀された。

✽ 所在地:若林区三本塚赤沼下15,主祭神:宇迦之御魂神(推測)

畠山稲荷神社入口
社殿前は綺麗に整地されたゲートボール場になっていました
畠山稲荷神社

旧二木村の北部は三本塚と呼ばれ,藩政時代は独立した肝入が置かれていました。 慶長16年(1611)の大津波に遭った三本塚に元和年中(1615~24)入り再開墾したのが郷六の佐藤出雲家友です。…が,当稲荷が建立されたのは津波以前。 この佐藤氏と出雲家友の関係は不明です。

399 瑠璃山薬王寺 Yakuoji
2010.05.03

薬王寺入口

真言宗智山派。寛永19年(1642)観正院の開山とされるが、境内の墓碑から考えて寛永初期の開山とも云われている。 本尊は大日如来。下飯田は寛永2年(1625)政宗の命令で水沢領主の留守氏が小野常勝に開墾させたのが始まりで,開墾者が当地に定住したと云われている。

✽ 所在地:若林区飯田屋敷17,本尊:大日如来

薬王寺本堂
本堂
薬王寺境内社
境内社

下飯田の集落は周囲に延々と田圃が広がる中に忽然とという感じで整然とした街並みがあります。かなり大きな集落です。 その集落の歴史と共に歩んできたお寺です。

丸の内に竪三つ引き両 439 五柱神社 Gochu jinja
2017.11.26

五柱神社拝殿

康平3年(1060)源頼義父子東夷征伐の際に常陸国村松に勧請した古社(茨城県東海村村松鎮座の村松大神宮)で,永享7年(1435)関東公方足利持氏が常陸国攻略の際,兵火に罹りこれを年月不詳ながら,何人かが当地に遷座し,五社明神と称された。

或いは筏に乗った五柱の神がこの浜に漂着したとの古伝もある。伊達政宗が遊猟の際に当社に立寄って老翁から明神の由来を聞いて社殿を改築した。棟札によれば以後2代忠宗,4代綱村,6代宗村,7代重村,13代慶邦が造営,再興補修した。明治5年現社号で村社。同41年稲荷神社(種次),八坂神社(井土浜)を合祀。平成23年3月11日,東日本大震災で全壊流出。当地藤塚ではほぼ全てが流失して現在でも居住禁止になっているが,地域の尽力で当社は現在までに再建されている。

✽ 所在地:若林区藤塚字屋敷51,主祭神:天照皇大神,賀茂別雷命,素盞嗚尊,倉稲魂命,天児屋命,例祭:4月15日,旧9月19日

五柱神社本殿
五柱神社全景

五柱神社鳥居扁額
鳥居扁額
五柱神社拝殿扁額
拝殿扁額

 

 

 

 

 

鳥居には平成27年(2015)11月再建と刻まれていました。社殿も同時期でしょうか。以前の社殿は平成5年(1993)の建築でした。以前の境内には松と藤が繁茂していたようですが,今はまだです。新しくきれいな社殿です

避難の丘
避難の丘

隣接地に避難の丘が出来ました。下から3番目の踊り場の高さまで先の津波が来ました。この丘には頂上まで自転車で登れるスロープがあります。閖上から海岸線を北上する自転車道が近くを通っているためだと思われます。この日もてっぺんにサイクリストが何人も来ていました。

440 稲荷名神 Inari myojin
2017.11.26

稲荷名神

✽ 所在地:若林区種次竹野花

由緒等わかりません。水路を渡してある2枚の板を伝って境内に入ります。社殿に立てかけてある扁額から社名を引きましたが,明神ではなく名神となっています。読みは同じでも意味が違うような気もしますが,郷に従えです。恐らく明治41年に五柱神社に合祀された種次の稲荷神社だと思います。

また,ネット地図では二荒神社となっていますが,これは境内に雷神碑と二荒神社碑があることからの誤解でしょう。碑は当社の社名を示すものではないと思います。