新坂通・北山方面

新坂通・北山方面地図

 仙台開府の当初,北山には輪王寺や北山五山などが置かれたが,その南,城下までは原野であった。 当時,伊達家には藩主や夫人の遺骸を死後すぐに埋葬し,49日の間に原野で空棺による葬礼を行うという独特の風習があり, 政宗や母保春院の葬礼もこの辺りで行われた。葬礼用具一式は当地で焼かれ,灰は多量の土で饅頭状に覆って周囲に土塁を巡らせた。これを灰塚という。 この葬礼は五代藩主吉村のときに戦国時代の無益な遺風であるとして廃された。この葬礼跡を祀るために寺院が置かれ,更に城下の拡張もあって, 寛文年間(1661~73)以前には開府当初の城下と北山の門前町の間の町割が出来上がっていたと考えられている。 北八番丁以北は当時から寺地で,現在もその当時からの古刹が数多い。

丸の内に竪三つ引き両 008 通寶山永昌寺 Eishoji
2006.05.06

永昌寺入口
永昌寺入口

 曹洞宗。伊達政宗の生母義姫(保春院)が元和9年(1623)に亡くなった際,遺体は北山の覚範寺に埋葬された後,当時原野であったこの地で空棺による葬礼が行われた。 本堂裏手に灰塚がある。永昌寺は当初は今の東北大学付属病院の付近にあったと言われているが,寛永15年(1638)灰塚を祀るためこの地に移転,中興開山された。 本尊は千手観世音菩薩像で,この本堂が仙台三十三観音第四番札所になっている。

✽ 所在地:青葉区新坂町18-1,本尊:千手観音

永昌寺山門扁額
山門扁額

山門は三間一戸の薬医門。上部が白壁。モノトーン風で清潔感と重厚感が共存していい感じです。

永昌寺山門

永昌寺本堂
本堂
永昌寺 保春院の灰塚
保春院の灰塚 2006.7.8撮影

清楚で落ち着いた雰囲気のお寺。この並びのお寺群はどれも裏手に結構広い墓地を取っていて参道は短め。 限られた前庭ではありますが,松も石畳もしっかり管理されています。参道右手に仙台三十三観音札所の標柱があります。

月影杏葉 009 宝嶺山充國寺 Jukokuji
2006.05.06

充國寺山門
充國寺本堂

充國寺山門前クロマツ
山門前クロマツ

 浄土宗。慶長9年(1604)開山で成覚寺末寺。当初国分町にあり,火災で寛永5年(1628)当地に移転した。(杜の散歩道)

✽ 所在地:青葉区新坂町17-1,院号:源樹院,本尊:阿弥陀如来

 

山門は現代風でスレンダー,背の高い薬医門…ではありませんでした。控え柱がないので形式としては棟門ですね。失礼しました。

門前にある樹齢400年というクロマツは市の保存樹木。姿がいい。市の標柱には樹齢395年とある(平成11年)。ということは,平成30年(2018)だと樹齢414年?少しこますぎ。

※クロマツは平成22年(2010).11.21撮影


平成30年(2018)5月12日再訪

充國寺山門2018
山門2018

平成27年(2015)3月 八幡町の観瀧庵観音堂廃寺に伴い千手観音が当寺に遷座し,仙台三十三観音の二番札所になりました。山門前には仙台三十三観音の石柱が建っています。観音様は本堂内に祀られているようです。これで新坂通りは永昌寺から荘厳寺まで連続した札所通りになりました。

充國寺本堂扁額
本堂扁額

充國寺本堂2018
本堂2018
充國寺観音札所表札

月影杏葉 010 大鶴山昌繁寺 Shohanji
2006.05.06

 浄土宗。慶長6年(1601)元材木町に念仏堂として開山。寛永13年(1636)現在地に移転。(杜の散歩道)

✽ 所在地:青葉区新坂町13-1,院号:良願院

昌繁寺山門
昌繁寺山門
昌繁寺山門の竜
昌繁寺山門の竜
昌繁寺山門扁額
山門扁額

山門は一間一戸の四脚門。門の高さは開口部の倍。重厚な上部を四脚が支える。重そう。屋根の両端部の太い丸瓦?は何と言うのだろう(無知)。 これが太いのも特徴的。全体は小ぶりなのに随分と造り込んでいる感じです。市指定文化財。山門の屋根下,袖塀の上には小さな竜がいます。山門の組み物も厚い。

昌繁寺入口
入口
昌繁寺本堂
本堂

昌繁寺観音堂

観音堂

 

仙台三十三観音第五番札所。市指定文化財。江戸時代末期の建築。本尊は聖観世音菩薩。室町時代の作といわれています。

※2010.11.21再撮影

丸の内に竪三つ引き両 011 功徳山荘嚴寺 Shogonji
2006.05.06


荘厳寺山門
荘厳寺山門

 浄土宗。慶長6年(1601)熱心な佛徒であった本材木町(今の春日神社付近)の鬼同庄兵衛が町屋敷に佛堂を設け,京都法林寺に請うて寺山号を申し受け開山。元和2年(1616)北山の荒野であった現在地を拝領して当寺を建立した。山門は伊達騒動で知られる仙台藩奉行・原田甲斐の片平丁にあった屋敷門を移築した もので「逆さ門」とも呼ばれる。平成5年に解体修理を行った際,柱の上下を逆さに左右の位置を交換して建て直した門であることが分かり, いわれが明らかになった。逆臣の門の意と説明されているが,悪を善に転じるという意味もあるらしい。甲斐の死後,原田一門はこの門の前で全て処刑され,屋敷も門を残し全て取り壊された。藩は門も取り壊そうとしたが,解体しようとすると人夫が怪我をしたり突然死したりしたため,当代荘嚴寺和尚が許しを得て 門を当地に移した。三間一戸の薬医門,屋根は切妻本瓦葺き。門の側には原田一門の霊を弔うために安置された三体の石地蔵がある。

✽ 所在地:青葉区新坂町12-1,院号:成就院

門を見ていると威厳を感じるのと同時に悲壮感も。門前で処刑された甲斐一族にはどんな思いが巡ったでしょうか。江戸時代の奉行(家老)の大きな権力も大変な立場も何となく伝わります。 伊達家は守られて,以降現代まで一貫して続くアイデンティティ「伊達の仙台」を,この門はずっと見守ってきました。

荘厳寺入口
入口
荘厳寺本堂
本堂

荘厳寺弁天堂
弁天堂
荘厳寺逆さ門弔い地蔵
逆さ門弔い地蔵

山門はさすがに威厳を感じる三間の門。とても「逆さ」には見えません。市指定有形文化財。山門をはいってすぐの境内には門の方を向いて座るお地蔵様。「逆さ門弔い地蔵」といわれています。本堂裏・墓地方面には真新しい弁天堂もある。弘法大師作といわれる弁財天像が安置されています。


荘厳寺観音堂
観音堂

 

本堂手前左側に古めかしい観音堂があります。仙台三十三観音第六番札所で本尊は十一面観世音菩薩。



平成30年(2018)3月10日再訪

荘厳寺新観音堂
観音堂2018
荘厳寺山門扁額2018
山門扁額2018

古めかしいなどと言っておりましたら,なんと新しくなっていました。新観音堂です。前と同じ場所で建て替えられました。素木と白壁が眩しい。

それと,山門扁額も変わっています。こちらは塗り直したようです。こんな色だったんですね。


伊達騒動(寛文事件)

 万治3年(1660)藩主伊達綱宗が日頃の不行跡を理由に幕府から隠居を命じられ,2歳の亀千代 (のち綱村) が家督を相続した。藩主幼少のため,綱宗の叔父伊達兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ・政宗の十男・一関藩主・以下「兵部」)と綱宗の庶兄田村右京宗良(うきょうむねよし・忠宗の三男・岩ヶ崎のちに岩沼藩主)が後見人に指名されたが,兵部が次第に実権を握り,腹心を要職に就け専制的,独裁的な藩政が横行するようになった。奉行の原田甲斐宗輔(かいむねすけ・以下「甲斐」)もこれに加担した一人である。

 こうした中,寛文5年(1665)伊達安芸宗重(あきむねしげ・涌谷伊達氏・以下「安芸」)と兵部の甥である伊達式部宗倫(しきぶむねとも・登米伊達氏・以下「式部」)との間に所領の境界紛争が生じる。この時は安芸が事を荒立てることなく式部の主張を受け入れたが,寛文7年(1667)再び式部方から領有争いが提起される。寛文9年(1669)7~8月,境界検分が行われたが検分役人の兵部の権威を笠に着た依怙が歴然で,裁定は安芸にとって大いに不満のあるものであった。寛文10年(1670)正月,安芸は柴田・甲斐・古内の3奉行に検分の不公正を訴え,更に江戸の両後見人にも訴えたが,納得できる回答を得られなかった。このため,11月以降,境界問題の依怙と共に藩政における兵部らの専横を幕府に訴えた。その結果,安芸の訴えは正式に幕府直接の扱いとなり,寛文11年(1671)2月16日幕府の審理が開始された。

 審理が進む中の3月27日,伊達安芸,原田甲斐,柴田外記,古内志摩の一同は審問のため月番老中板倉邸に集まったが,昼近くに大老酒井忠清邸に移ることとなり,大老を初め老中全員と幕府大目付も列座する中で審問が行われた。ところが,一人ずつの審問が終わろうとする頃のこと,控え室で突如原田甲斐が伊達安芸に脇差で斬りかかったのである。甲斐はその場で安芸を斬殺し,引き続き老中達の部屋に向かって突入しようとする。これを柴田らが討ち,更に柴田も慌てた酒井家家臣に斬られ落命してしまう。急転直下,関係者が殆ど死亡するという事態になったのであった。

 4月3日,幕府は伊達兵部に土佐藩お預け,田村右京に閉門を命じた。兵部の子宗興は豊前小倉藩お預けとなり廃絶された。6日,藩主に対し幼少の故をもって御宥免が言い渡された。6月7日,原田家の男子は他家に養子に行った者も含め切腹又は斬首,女子は他家預かりとなり一家断絶となった。ここに12年にわたる騒動にようやく終止符が打たれた。伊達62万石は安堵され,事件は決着した。

012 橘昌山稱念寺 Shonenji
2006.05.06

稱念寺山門

 浄土真宗本願寺派。建長2年(1250)親鸞高弟24人の内の一人,無為信房が会津若松に創建し,伊達政宗が会津を征服後,仙台に築城した際に招かれて 当地に移転した。現在地創建は定かではないが,寛永元年(1624)には当地での火災の記録がある。 山門が赤く塗られており,通称「赤門寺」と呼ばれる。本堂は仙台市登録文化財。文化年間(1804~18)建造。

✽ 所在地:青葉区新坂町10-3,院号:成就院,本尊:阿弥陀如来像(慈覚大師作)

山門に額がありません。山門・参道とも真南が正面と思えるところを斜めに南東向きなのは何故?山門は平成7年再建。赤門とはいえ,赤塗り柱と梁だけです。木の色との色合わせがいいです。

013 増上山大願寺 Daiganji
2006.05.06

大願寺山門

 浄土宗。慶長8年(1603)市内立町に「太子院」として開山。政宗が寛永13年(1636)江戸藩邸で亡くなった折,伊達家の慣わしに依り仙台の経ヶ峯に 埋葬された後に,原野であったこの地で葬礼が行われた。大願寺はその跡地を寺地とし移転したもので,本堂裏手に政宗の灰塚がある。 山門は宝永6年(1709)に四代藩主綱村夫人仙姫(万寿院)の墓所の門として建てられた向唐門。桟唐戸に夫人の実家稲葉氏の家紋「折敷に三文字」が入り, 全面黒漆塗りで飾り金具に金箔が施されている。明治11年頃,市内小田原高松の万寿寺から購入移築された。市の指定有形文化財。平成11年に解体修理で完全復元された。

✽ 所在地:青葉区新坂町7-1,院号:松王院,本尊:阿弥陀如来

大願寺本堂
本堂 正面向拝にも唐破風が付いてます
大願寺政宗公灰塚
政宗公灰塚

大願寺観音堂
観音堂 2010.11.21撮影

山門入って右の観音堂は仙台三十三観音第七番札所。本尊は聖観音。

山門扉の家紋
山門扉の家紋
本堂扁額
本堂扁額

山門が黒塗り金細工付きの向唐門っていうと,瑞鳳殿と同じ。仙姫廟所のための門であって政宗には直接関連しないけれど,いかにも華やかで政宗の灰塚のあるこのお寺に相応しいですね。


月影杏葉 徳川葵 044 亀鏡山正圓寺 Shoenji
2006.07.16

正圓寺山門扁額
山門扁額

 浄土宗。はじめ市内肴町(現大町)にあった。寛永9年(1632)現在地に移転した。

✽ 所在地:青葉区新坂町6-1,院号:袋笈院,本尊:阿弥陀如来

 

昌繁寺を開山した良覚袋笈和尚の隠棲の寺として開山したお寺とのことです。

正圓寺入口
入口
正圓寺山門
山門


平成19年(2007)5月3日再訪

正圓寺本堂
本堂

参道入口にある2代藩主忠宗お手植えの松はホントに大きな赤松です。樹齢360年。

正圓寺 忠宗公お手植えの松
正圓寺 忠宗公お手植えの松

月影杏葉 徳川葵 156 円光山大法寺 Daihoji
2007.05.03

大法寺山門

 浄土宗。慶長13年(1608)大町に開山。万治2年(1659)伊達2代藩主忠宗公灰塚を祀るため当地を賜り移転した。当初は律宗で,寛政11年(1799)には増上寺から「大法律寺」の扁額が贈られている。明治3年(1870)律寺廃寺。昭和14年(1939)浄土宗として中興再建。 現在の本堂は平成7年(1995)新築。境内に天保10年(1839)建立の天保4年(1833)飢餓餓死者供養の叢塚がある。同じ叢塚が光寿院(連坊),桃源院(河原町)にもあり,仙台の三叢塚といわれている。

✽ 所在地:青葉区三条町7-27,院号:光巖院,本尊:阿弥陀如来座像(寛政10年/1798)


大法寺本堂扁額

本堂の扁額は律寺の痕跡。

増上寺の文字が見えます。これは新しそうな気もしますが,もしかすると何代目かなのかもしれません。(違っていたらごめんなさい)

叢塚(くさむらづか)は 光寿院,桃源院とも,大きさ,型,文字が全て同じだそうです。忠宗公の灰塚は隣接する三条中学校建設地となり今はありません。本堂前にはなぜか解説板つきで七福神像が並んでいました。


平成30年(2018)5月6日再訪

大法寺山門扁額
山門扁額

今回の訪問では山門前に並ぶ小さな石仏群に気を引かれました。可愛いです。駐車場には何故か塩釜神社が。

大法寺本堂2018
本堂2018

大法寺門前石仏群
門前石仏群
大法寺塩釜神社
境内社?の塩釜神社

157 無量山超光寺 Chokoji
2007.05.03

超光寺山門扁額
超光寺山門扁額

 浄土真宗。寛永3年(1626)開山。京都西本願寺末。本尊は阿弥陀如来。

✽ 所在地:青葉区新坂町4-10,本尊:阿弥陀如来

 

一説には,天正2年(1574)または天文8年(1539)に開山とも云われるそうですが,まだ仙台開府前なので, そうであってもその時期には当地にはなかったものと思われます。

超光寺山門
超光寺山門

超光寺 新本堂
超光寺 新本堂
超光寺 旧本堂
超光寺 旧本堂

なんともSFチックな寺号です。山号と併せてまさにSFです。境内案内によりますと,本堂は今年から新築工事が始まるようです。 (2010.11.21再訪。本堂は新築でした。写真掲載)


西六条下り藤 158 稱陽山稱覺寺 Shokakuji
2007.05.03

稱覚寺入口
稱覚寺入口

 浄土真宗本願寺派。永仁元年(1293)称念寺開山の無為信房の弟,円知房が会津に開山。伊達郡,白河を経て仙台の稱念寺領と移った後,元和4年(1618)政宗公より寺地を得て現在地に移転した。昭和20年の戦災で焼失,戦後再建した。(杜の散歩道)

 境内に「杖銀杏」の名がある大木がある。延宝5年(1677)当寺12世智鑑が本山より寺号を下附された帰途,東京元麻布の善福寺にある「逆銀杏(※)」の枝を杖として貰い受け,帰国後に境内に挿したところ繁茂したと伝わる。(境内掲示板) 

※親鸞上人の杖が逆さに根づいたと伝わる銀杏。


✽ 所在地:青葉区柏木3丁目3-3

参道から山門を見る。境内の杖銀杏が大きく見えます。

稱覚寺本堂
本堂

すっきりしたいでたちの本堂です。杖銀杏はやはり戦災で焼けたそうですが,再び芽吹いて今は元気な大木です。

稱覚寺杖銀杏
杖銀杏


平成30年(2018)3月10日再訪

称覚寺山門2018
称覚寺本堂2018

称覚寺山門扁額
山門扁額
称覚寺本堂扁額
本堂扁額

本堂と山門にそれぞれ扁額が掲げられていました。

これまで当寺の山号は参考文献から稱楊山としてきましたが,扁額により稱陽山に訂正します。


159 八雲神社 Yakumo jinja
2007.05.03

 かつて北山満勝庵(光明寺と東昌寺の間)境内にあり, 寛文7年(1667)共に現在地に移転。明治維新まで満勝寺が別当を務めた。

✽ 所在地:青葉区柏木3丁目5-16,主祭神:建速須佐之男命,神日本磐余彦尊,例祭:10月16日

八雲神社2007
八雲神社2007


平成22年(2010)11月21日再訪

鳥居が新しくなったようです。

 

平成30年(2018)3月10日再訪

通りすがりではありましたが,鳥居扁額を撮ってきました。

八雲神社鳥居扁額
鳥居扁額
八雲神社2010
八雲神社2010

丸の内に竪三つ引き両 160 当午山満勝寺 Manshoji
2006.05.06

満勝寺参道

 臨済宗東福寺派。弘安6年(1283)伊達4世政依が初代朝宗の菩提寺として伊達郡桑折に創建。伊達五山の一つ。元和3年(1617)仙台北山に移転し「満勝庵」と号した。寛文7年(1667)伊達4代綱村から寺地を賜り現在地に中興開山,再び満勝寺と号した。仙台藩一門格寺院。満勝寺十景と称された伽藍群を擁したが,文化元年(1804)の火災で焼失し,その後荒廃。昭和10年(1935)本堂等が再建されている。

✽ 所在地:青葉区柏木3丁目5-13,本尊:聖観音

すばらしい並木の参道。また来たくなりますね。


満勝寺入口
入口
満勝寺山門
山門

満勝寺山門扁額
山門扁額
満勝寺本堂扁額
本堂扁額

本堂の扁額には「無畏」とあります。どのような意味なのでしょうか。



満勝寺本堂2018
満勝寺本堂2018

平成30年(2018)3月10日再訪

 

相変わらずきれいな境内です。やっと本堂のまとも?な写真が撮れました。

161 清涼山林宅寺 Rintakuji
2007.05.03

 浄土真宗大谷派。京都東本願寺の末寺。永禄11年(1568)岩手県西磐井郡五串村に開山。慶長8年(1603)現在地に移転した。 天和2年(1682)本寺より寺号と本尊阿弥陀如来像を授与されている。(杜の散歩道)

✽ 所在地:青葉区柏木2丁目4-8,本尊:阿弥陀如来像

林宅寺入口
林宅寺入口
林宅寺本堂
林宅寺本堂

新坂通や大願寺通から離れて北六番丁に建つお寺。城下に近いだけあって,他の新坂通の寺院よりも立地時期がはやいですね。
小振りですが山号に相応しい清々しい感じのするお寺です。

350 微笑山江巌寺 Koganji
2008.11.01

曹洞宗。輪王寺末寺。山号読みは「みしょうざん」。元和元年(1615)七歳で亡くなった三男竹松丸の菩提を弔い伊達政宗が開基。母の愛姫が不動明王像と童子像を寄進,不動明王像を本尊とした。 当時の伽藍は仙台城築造の残材を用いた総檜造だったが,昭和20年(1945)の戦災で全て焼失。現在の伽藍は戦後の復旧。うち本堂は平成20年(2008)再び新築された。

✽ 所在地:青葉区柏木3丁目7-40,本尊:不動明王

江巌寺入口
入口
江巌寺本堂
本堂

竹松丸は当寺の本寺・輪王寺に葬られています。