越路・向山

越路・向山地図

伊達政宗によって奥州街道が整備されるまで,陸奥への基幹道であった東街道は名取川を渡ってから大年寺山を東から北に廻りこみ, 鹿落坂を下って今の霊屋橋のあたりから米ヶ袋を経て田町方面へ抜け,東進して陸奥国分寺や多賀城に通じていたという。 仙台開府当時もこの道筋が城下への導入路であった。愛宕山,越路山などのいわゆる向山が広瀬川に迫り,いかにも越える路(みち)の名に恥じない狭く急峻な道である。

輪宝 086 愛宕神社 Atago jinja
2006.11.04

愛宕神社入口
入口・一番鳥居

古くは米沢にあったが伊達政宗と共に天正19年(1591)岩出山に移り,更に慶長8年(1603)政宗仙台入府に際し,当初国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座し, 同年,当地に遷座した。慶安3年(1650)2代忠宗,元禄7年(1694)4代綱村が改修修復。平成13年(2001)遷座400年を前に本殿改修。軻遇土神(かぐつちのかみ)=火の神を主祭神とし,火坊鎮護,武勇長久の祈願所として歴代藩主の崇敬を受けた。 また,神仏分離以前は十二支の辰年・巳年生まれの生涯を守護するとされる普賢菩薩を本尊として合わせ祀っていたことから,現在でも辰巳歳生一代守護として市民に親しまれている。

✽ 所在地:太白区向山4丁目17-1,主祭神:軻遇土神,例祭:7月23,24日

 

入口。ここから210段の階段を登る。

順に二番鳥居,三番鳥居,四番鳥居と登ってやっと神門です。

愛宕神社随身門

神門。
右に大天狗,左に烏天狗が配されています。文化元年(1804)の棟札があり,江戸後期の建築。

愛宕神社拝殿
拝殿
愛宕神社本殿
本殿

拝殿は七五三の時期で賑やかな垂れ幕付きでした。本殿は平成13年に修復されました。黒光りしています。


平成30年(2018)5月21日再訪

東日本大震災により社殿,神門,神門内の天狗像二座が損傷損壊,2~4番鳥居も全壊しました。平成24年5月より修復及び復旧工事を行い,同年12月竣工。天狗像も修復と江戸時代の姿への復元を兼ねて5月に日光に向け搬出,7月3日に現地に復したとのこと。神門の屋根は新しい銅版で葺き替えられていますし,鳥居も新しくなりました。大きな被害でしたが,境内は今,落ち着きを取り戻しています。

 

2番鳥居と3番鳥居は完全に新しくなりました。木漏れ日射す新緑の中でひときわ朱が綺麗。4番の石鳥居は組み直しでしょうか。一部部材が新しいようです。

1~3号の順に鳥居の扁額を並べました。2,3号の扁額も以前のものと同じでしょうか。


愛宕神社神門2018
愛宕神社神門扁額2018
神門扁額2018

向かって右に大天狗,左に烏天狗が座す神門。新しい銅板葺きの屋根が綺麗です。天狗は愛宕大神のお使いとされ,中でも大天狗は愛宕太郎坊と云われて最高位の天狗,烏天狗は大天狗の命を受けて善道を司るとのこと。両像とも2.5mもの大きさで,寄木造では日本最大の天狗像だそうです。


愛宕神社拝殿扁額2018
拝殿扁額2018

拝殿は建築技法から見て4代綱村が修復したとされる元禄7年(1694)に新たに造立されたという見方もあるようです。

 

拝殿前の右側(広瀬川方)に多くの境内社や碑が並べられています。市街が一望できる展望台もあります。

愛宕神社拝殿2018

愛宕神社境内社2
手前右から稲荷神社,天満宮
愛宕神社境内社1
奥から勝閧神社,産霊神社,軍艦愛宕県出身戦没者慰霊碑

愛宕神社市内眺望
境内からの市内眺望2018

169 妙見堂 Myokendo
2007.05.26

妙見堂

慶長5年(1600)愛宕山山麓の当地に米沢から覚範寺が移転したが, 慶長7年(1602)いわゆる小人騒動により炎上し,覚範寺は北山に移転再建した。その跡地に建立されたのが天台宗誓願寺で,明治の廃寺まで愛宕神社の別当を勤めた。現在,当地にはこの妙見堂だけが残っている。

✽ 所在地:太白区越路11

 

江戸末期に閖上(ゆりあげ)で魚網にかかった妙見像を祀っているといいます。 仔細はわかりませんが,妙見菩薩は密教の仏様で北斗七星を象徴とした天空の中心をつかさどる仏様と云われています。


平成30年(2018)5月21日再訪

前回訪問時には入口に冠木門の柱だけが残って門柱状になっていましたが,その門柱は撤去されました。屋根が瓦葺から鉄板葺になっています。大震災後に多い変化です。お堂は綺麗に維持されていますね。また,今回は新たに由緒説明掲示を見つけました。こういうのがあると助かります。これに記されている越路家が今もここを管理しているのでしょうか。ありがたいです。

仙台妙見堂 妙見大菩薩縁起

慶長の時代,岩手澤(岩出山)から仙台青葉城に来られた仙台藩主伊達政宗公は,愛宕大権現社内に妙見大菩薩を祀り,諸願成就を祈願された。その所作が類なく優れていることから「妙見」と褒め称えられる妙見大菩薩は,北極星が神格化したものであり,国土を護り,貧窮を救ってくださる仏様として古くから崇敬されてきた。本尊妙見大菩薩は,木彫りで御丈ほぼ一尺,御姿は端厳,誠に稀代の作であり,その刀法様式により,名手が丹精を込め信仰を凝らして彫成したことが窺える。御目,御眉,御口,御鼻を除く全体に貝殻が付着しているのは,海底で久しく年月を経たことの証だといえる。言い伝えによると,伊達家先代の姫君が閖上浜で御遊覧された時,漁網にかかって尊像が出現されたため,これを愛宕大権現社内に奉納なさったということである。また,愛宕大権現社別当で伊達家の祈願所であった誓願寺に残る言い伝えによると,妙見大菩薩像は磐城(福島)の相馬妙見社に奉安され,相馬氏が崇信していたものであったという。政宗公が相馬氏を討つ際,相馬軍が敗れるかと思うと妙見大菩薩の尊像が彷彿として現れて相馬軍を援護したため,伊達軍の将士は大菩薩を我が領地に移す必要を感じ,片倉小十郎が密かに尊像をいただいて来て,閖上の海中に沈め置いたという。貝殻が御顔の要部に付着していないのは,沈置の際,あらかじめ御顔を覆い申し上げたためといわれる。明治維新の際に出された神仏混淆禁止令により,太政官神祇局の吏員が愛宕社にて調べ,尊像が仏体であることを認め,これを当時の祠官であった越路家に交附されて以来,今日に及ぶものである。

(明治15年5月 越路廣治 記)平成20年2月

(妙見堂境内掲示説明板)

170 延命地蔵尊 Emmeijizoson
2007.05.26

延命地蔵尊

交通安全延命地蔵尊。石板に交通無事故と延命長寿を祈願して昭和54年に建立とある。仙台有数の交通量がある愛宕上杉通りの脇に子育て観音,水子地蔵とともに建っています。

✽ 所在地:太白区向山4丁目23,本尊:延命地蔵

丸に桔梗 171 虚空蔵山大満寺 Daimanji
2007.05.26

曹洞宗。龍泉院の末寺。青葉城築城以前,青葉山に龍川院の別院「大満房」としてあった。慶長5年(1600)青葉城造営に際して独立し,当初は経ケ峯に移転した。この時,本坊の龍川院は新寺に移転して龍泉院となり,もう一つの別院「玄光房」も通町に玄光庵として独立している。万治2年(1659)2代藩主忠宗公の霊廟である感仙殿造営のために当地に再移転し,忠宗公の位牌寺となった。現在の本堂は平成11年新築。

✽ 所在地:太白区向山4丁目4-1,本尊:釈迦牟尼仏

大満寺山門
山門 四柱です。何形式?
大満寺本堂
本堂 木造で本格的

大満寺山門扁額
山門扁額
大満寺本堂扁額
本堂扁額
大満寺全景図
全景図

奥州藤原氏によって約800年前に創建されたと伝わるお寺です。以来,隣接する虚空蔵堂や千躰仏堂の別当を勤めてきました。今の伽藍群は新しく壮大なものです。 上図は境内に掲げられた全景図で虚空蔵堂も含まれています。写真縮小で字は読めません。ここでは雰囲気だけ味わって下さい。詳しくはWebよりも現地で。 描かれてませんが左下枠外に山門があります。

172 虚空蔵堂 Kokuzodo
2007.05.26

虚空蔵菩薩は虚空と蔵の二つの特性を併せ持ち虚空のごとく無量の智恵や功徳を蔵する菩薩とされている。境内の千躰仏堂とともに約800年前青葉山に創建され, 別当大満寺とともに経ケ峯を経て万治2年(1659)当地に遷した。千躰仏は仙台の名前の由来として知られる。虚空蔵菩薩は丑寅年の守本尊として信仰されている。

✽ 所在地:太白区向山4丁目17,本尊:虚空蔵菩薩

虚空蔵堂山門
山門

大満寺境内の東端から山門を潜って196段の階段を登る。山門は昭和55年の落慶。

虚空蔵堂参道
参道

虚空蔵堂
虚空蔵堂
虚空蔵堂山門扁額
山門扁額
虚空蔵堂扁額
虚空蔵堂扁額

虚空蔵堂は万治2年(1659)建立。本尊の虚空蔵菩薩と脇仏の日光,月光の菩薩が安置されており,丑寅の年に御開帳される。


虚空蔵堂 千躰仏堂と鐘堂
千躰仏堂(左) と 鐘堂

千躰仏堂は戦災で大満寺とともに焼失し,昭和58年(1983)開基800年での再建。千躰仏は疎開で難を逃れ,今も約450体が残る。そのうち約300体は800年前の原仏と見られるといいます。何ともすごいことです。
鐘堂は旧制二高明善寮からの戦後の寄贈。梵鐘はもと大年寺にあったもので,5代吉村が4代綱村の供養のため享保5年(1720)に造らせた。明治に大年寺からここに移された。

 

あまり広いとは言えない山上の境内に,このほかにも八角堂,阿保原地蔵堂,牛野地蔵堂,庚申塔などが建っています。 鐘堂の先には広瀬川の眺め。写真撮ればよかったかな。なお,虚空蔵堂の右奥から愛宕神社本殿の裏に小道が繋がっています。

久我竜胆 五七桐173 法輪山長徳寺 Chotokuji
2007.05.26

曹洞宗。寛永元年(1624)開山。創建当時は経ケ峯にあったが,寛永13年(1636)藩主政宗死去に伴う霊廟瑞鳳殿造営のため現在地に移転。 戦災で山門を除き焼失。本堂は昭和41年(1966)再建。

✽ 所在地:太白区向山2丁目20-25,本尊:釈迦牟尼仏

長徳寺山門
長徳寺本堂

山門は戦災にも生き残りました。いつの建立でしょうか。屋根が大きくて立派です。


長徳寺山門2018
長徳寺山門2018

平成30年(2018)4月30日再訪

 

立派な山門の再撮です。相変わらずの重厚感で,このような晴天の日はコントラストがきつくなって困ります。

174 竹駒稲荷神社 Takekoma inarijinja
2007.05.26

竹駒稲荷神社

長徳寺方面から来て,鹿落坂を下る手前,南に入ったところにあります。由緒等わかりませんでした。

✽ 所在地:太白区向山2丁目1

九曜 175 鹿落観音堂 Shishiochi kannondo
2007.05.26

曹洞宗の経部山大蔵寺にあった観音堂。大蔵寺はかつて青葉山にあり,慶長2年(1597)昌伝庵(荒町)の末寺として中興開山。青葉城造営で経ケ峯に移り,万治2年(1659)感仙殿造営で再び越路に戻った(現在の東洋館の場所)。宝永2年(1705)4代綱村が再建。明治21年に昌伝庵と合併し廃寺となった。本尊の正観音像は満海上人の護持仏であったという。仙台三十三観音第33番札所。

✽ 所在地:太白区向山1丁目1-3,本尊:正観音

鹿落観音堂由来
鹿落観音堂入口

鹿落観音堂

鹿落坂から西に断崖を急階段で登る参道。お堂の前庭が緑で覆われていて写真の撮りように困りました。写真は大失敗ですが,これしかありません。 境内はしっとりとしていて気持ちのいい空間です。お堂は扉が開いていて中まで入って拝めます。

446 八木山神社 Yagiyama jinja
2018.04.30

古くからこの地に居住していた人々の生命の泉として久しく汲み奉った沼沢(俗に清水沢と称し飲料水として,また天然水も…じた…現の東北工業電子高校のグランド付近)の辺りに小祠があって当時の人々は水の神として崇敬していた。終戦後,当時の有志等が相諜って八木山文化都市建設協会(現の八木山翠町内会の前身)を組織設立し,生活の向上発展の充実に力をそそぎ,更に和楽の場として現地に鎮守の社を造営,八木神社と称え奉り越路神社の御分霊と大峯神社(現の動物公園の前身,八木山野球場内に祀っておって市の管財であったのを譲り受けた)並びに前記の水神を合祀したものである。時に昭和29年の仲秋であった。 八木山神社崇敬会(社殿前八木山神社由来記碑抜粋)

✽ 所在地:太白区八木山香澄町3,主祭神:大山祇大神

八木山神社全景
八木山神社社殿扁額
社殿扁額 山の形になっています
八木山神社鳥居扁額
鳥居扁額

八木山稲荷神社
境内社の八木山稲荷神社
八木山神社

八木山はその広さに比して神社が少ないように思います。開発が近代に入ってからなので仕方ないのでしょうが。でも,その分,今ある神社の価値は高く,地域の方々の思い入れも濃くなるのではないでしょうか。