新寺

新寺地図

 伊達政宗による仙台城下の町割り以前からこの付近に由来のはっきりしない八つの古塚があったという。かつての土地の豪族などの墓と思われるが,これに因んで一帯は八つ塚と呼ばれていた。慶長6年(1601)から始まった城下町割の際,東の守りとして幾つかの寺院が配置され,更に寛永14年(1637)からの第1次城下拡張によって当時寺町であった寺小路(今の青葉区本町付近,仙台駅西の広瀬通り北側)から一部の寺院がここに移された。以降,両寺小路はそれぞれ元寺小路,新寺小路と呼ばれるようになった。新寺一帯は戦後の土地区画整理により整然とした街並みとなったが,寺社の位置は概ね当時と同じと言われている。新寺通り沿いには大きな寺院が連続して並び,当時の威容が今に伝えられている。

丸の内に竪三つ引き両 右三つ巴015 四社宮 Shishagu
2006.05.13

四社宮

関ヶ原の戦いの前後,伊達政宗が会津・福島で上杉氏との戦いに臨んだ際に政宗に付いた柴田郡大河原の鉄砲足軽は,その後仙台東八番丁に移り住み大河原組と呼ばれた。彼らは大坂冬・夏の陣に初めてここから伊達勢として出陣し全員無事帰陣。神の御守護に感謝して先住地の四社明神を勧請した。後にローマに渡った支倉常長が海上安全を祈り賽銭箱を奉納したとも伝えられる。(宮城県神社庁HP要約)

✽ 所在地:若林区新寺1丁目7-38,主祭神:住吉三神(底筒男命,中筒男命,表筒男命),倉稲魂命,例祭:5月25日

四社宮お神輿

仙台駅から連坊への通り道・東八番丁に面してあった小さな神社。ここも月末にお祭りで,付近には赤い幟が。そして狛犬ならぬ狛狐。社殿も赤いし,お稲荷さんですね。また,祭神には住吉三神も名を連ねる。支倉常長の公開が無事だったのもこの神様のおかげでしょうか。


5/27お祭りに出会う。お神輿も見っけ。

折敷に三文字 017 法王山阿弥陀寺 Amidaji
2006.05.20

阿弥陀寺入口

時宗。建治3年(1277)時宗開祖の一遍上人が奥州をまわった折,伊達4世政依によって福島の伊達郡梁川町に上人を開山として創建。のち米沢を経て2代藩主伊達忠宗の時に現在地に移った。本尊の阿弥陀如来立像は伊達14世稙宗が六男宗貞夭折の折に寄進したもの。境内の観音堂は享保元年(1716)の建立で平成3年(1991)再建。仙台三十三観音第17番札所で本尊は「影沼観音」といわれる聖観音。

✽ 所在地:若林区新寺3丁目5-3,院号:正覚院,本尊:木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代)

 

北の新寺通りから入る参道には山門はなく門柱が立つのみ。一遍上人の思想でしょうか。この季節にもかかわらず緑がとても濃い。しっとりした空気。

順に本堂,庭園,坂村真民(さかむらしんみん)の詩碑

庭は広くて手入れが行き届いている感じ。本堂左にあります。同じく本堂左には一遍上人のブロンズ像も。写ってませんが…。真民の詩碑は43都道府県にあって,海外も含めて460余基といいます。これもそれに含まれるのかは不明。上の詩文,読めるでしょうか?

阿弥陀寺観音堂
観音堂

本堂手前右に観音堂。昔,低地だった寺地で沼に観音様の影が浮かび,沼底から引き揚げられたのが「影沼観音」だそうです。このお寺のしっとり感もそのせいでしょうか。

 

時宗のお寺は土樋の真福寺とここだけです。創建はこちらが早いですが,仙台移転は真福寺の方が早かったようです。

019 伏見稲荷神社 Fushimi inarijinja
2006.05.27

伏見稲荷神社

仙台駅東口から南に行ったところにある小さなお社。 境内石碑に「東七伏見稲荷。昭和5年,町内に火災が多いのを憂い有志が京都の伏見稲荷を分詞して新築」とありました。

✽ 所在地:若林区新寺1丁目3

久我竜胆 五七桐020 円通山龍泉院 Ryusenin
2006.05.27

龍泉院本堂

曹洞宗。奥州藤原秀衡の創建ともいわれる古刹で仙台城大手門の下,大橋の川内側にあった。本尊は五智如来。 創建当時は天台宗であったが,荒廃の後,永正13年(1516)再興時に曹洞宗に変わっている。 仙台城築城当時,川内は当院や長泉寺など多くの寺院寺地であったが,要害のため築城地に選ばれ,それぞれ城下に移された。 龍泉院も慶長7年(1602)現在地に移転した。玄光房、大満房などの別院を持ち、後に仙台の名前の由来となった千躰仏も祀っていた。 別院は現在それぞれ玄光庵,大満寺(向山)になっている。 境内に千躰仏を祀る千躰仏堂がある。また西門前の六地蔵は藩政時代には清水小路北目町通交差点付近にあり,当交差点は「六道の辻」と呼ばれていた。明治の鉄道建設に支障となり現在地に移されたものである。

✽ 所在地:若林区新寺2丁目3-38,本尊:五智如来

龍泉院南山門
南山門
龍泉院西山門
西山門

南側,新寺通りに面した南山門前には千躰佛があるとの石柱が立っています。恐らくこちらがメインの参道。西側道路に面した西山門前には六地蔵が並ぶ。一体の台座刻字から享保16年(1731)建立が読み取れるそうです。大震災で六地蔵は転倒しましたが,台座を新調して復旧しています。

龍泉院六角堂
六角堂
龍泉院本堂扁額
本堂扁額 五智如来
竜泉院山門扁額
山門扁額

本堂右前に五大虚空蔵菩薩と千躰仏を祀った六角堂があります。また,本堂正面前には布袋様がいました。


丸の内に竪三つ引き両 027 稲荷山妙心院 Myoshinin
2006.06.10

妙心院山門

曹洞宗。松音寺の末寺。 政宗の乳母,片倉喜多子(片倉小十郎の異父姉)の父,鬼庭左月斎が人取橋合戦で戦死した折,政宗の母が喜多子の慰めに天正14年(1586)山形の長井に建立。 その後,岩出山を経て現在地。喜多子は慶長15年(1610)白石市郊外の「滝の観音堂」で71歳で没し,政宗がここを牌寺とした。 戦後の区画整理で昭和50年(1975)に再築。境内に古来から祀られている「稲荷堂」がある。現稲荷堂は平成11年新築。

✽ 所在地:若林区新寺4丁目1-18,本尊:聖観音像(片倉喜多子護持仏)

 

山門は総桧素木造の重厚な八脚門。入母屋屋根の本格派。左右の仁王像もすごい。平成5年に寄進により建立されました。

妙心院山門扁額
山門扁額
妙心院本堂扁額
本堂扁額


平成26年(2014)11月22日再訪

妙心院芭蕉翁蓑塚

本堂前左手に建つ芭蕉翁蓑塚(右)と芭蕉翁蓑衣塚銘。寛政7年(1795)建立。
銘碑は黄檗宗万福寺(京都・黄檗宗の本山)の蒲庵禅師が撰文したもので, それによれば,当地に浮月坊鉄船という医者の俳人がおり,芭蕉が奥の細道の旅に着て来た蓑を脱いで置いて行ったものを所蔵していた。それをここに埋めて建てた記念碑が蓑塚であるという。

丸の内に竪三つ引き両 028 五劫山愚鈍院 Gudonin
2006.06.10

浄土宗。五劫山悟慎寺(ごしんじ)愚鈍院。慶長7年(1602)政宗から南町通り東端(現仙台駅構内)に寺地を受け呑茶和尚が創建。元和3年(1617)現在地に移転した。観音堂は仙台三十三観音15番札所で本尊は「桜塚観音」の名がある聖観音。

✽ 所在地:若林区新寺3丁目12-17,寺号:悟慎寺,本尊:阿弥陀如来

愚鈍院山門
愚鈍院本堂

山門,本堂ともに薄いピンク色が基調。桜塚観音に由来する?本堂前の全天候型?カラー舗装とかも現代的です。

愚鈍院観音堂
愚鈍院観音堂

山門を入って右手方向,裏門に抜ける途中にあるホントに小さな観音堂。かわいいと言ったほうがいいかも。

029 得生山善導寺 Zendoji
2006.06.10

善道寺山門
善道寺山門 2013.5.18撮影 入口から奥まった南の山門は3間1戸の楼門。

浄土宗。天正5年(1577)政宗の祖父伊達15世晴宗の家臣が主君の菩提を弔うため米沢で開山。岩出山を経て仙台大町に移り慶長15年(1610)頃に現在地に移転。 本尊の阿弥陀如来像は晴宗の護持仏で政宗から当寺に賜ったもの。また,2代藩主伊達忠宗の側室で3代藩主綱宗の生母,得生院(貝姫)の墓がある。得生院は京都の商人の娘として身元を隠し側室になったが,実は公家の落剥であり19歳で没した後に素性が明かされた。当寺は寛永19年(1642)得生院を葬るに当たり得生山を号した。境内に伊達家の刀匠,本郷国包(くにかん)の墓所もあり,初代から13代までの墓が並んでいる。

✽ 所在地:若林区新寺2丁目7-33,院号:西蓮院,本尊:阿弥陀如来

善道寺西山門
西山門
善道寺刀匠墓所
刀匠墓所

西の山門も立派です。南入口を入ってすぐ左の鬱蒼とした庭園の中を園路をつたってこの西門まで通り抜けられます。看板に通り抜けの案内があります。心が広い。 刀匠墓所には13代の墓が並んでいます。中央が初代本郷国包のもの。


平成25年(2013)5月18日再訪

善道寺本堂
善道寺本堂
善道寺山門扁額
山門扁額

新緑の季節に再訪。相変わらず素晴らしい境内です。今度はちゃんと山門扁額と本堂の写真も撮ってきました。

善道寺得生院墓
得生院の墓

本堂向かって左手の得生院墓所も今回は訪ねました。なんと刀匠墓所の隣にあったんですね。前回は失礼しました。ちゃんと清掃されていて綺麗。墓石も優美な感じです。


月影杏葉 030 十劫山成覺寺 Jokakuji
2006.06.10

浄土宗。室町中期に福島の伊達郡で開山し,伊達家とともに米沢,岩出山を経て慶長5年(1600)現在地に移る。 この寺の清海(せいかい)曼陀羅図は室町時代の作で寛永7年(1630)に京都法林寺から寄進されたもの。当麻(たいま),智光とともに浄土宗三曼荼羅のひとつ。 山門は榴岡の孝勝寺にある4代藩主綱村の生母,三沢初子(浄眼院)の墓所霊屋門で, 明治初期に伊達家から譲り受け移された。浄眼院は貞享3年(1686)に没しており山門もこの頃の建立とされる。かつては総黒漆塗だった。仙台市有形文化財。平成17年修復で袖塀はその時の新設。境内の観音堂は仙台三十三観音16番札所。

✽ 所在地:若林区新寺3丁目10-12,院号:大乗院,本尊:木造阿弥陀如来立像

成覚寺参道
参道
成覚寺本堂
本堂

成覚寺本堂扁額
本堂扁額

お隣の愚鈍院が五劫山で,ここは十劫山。同じ浄土宗でご近所。本山が同じ福島県双葉郡楢葉町の成徳寺だそうです。


平成22年(2010)10月29日再訪

成覚寺観音堂
観音堂

観音堂は山門入って左にあります。前回は改築工事中で見えませんでしたが,今回は完成していました。資料によると観音像は平安時代の木造聖観音で,像高165cm,県の有形文化財だそうです。ほぼ人と同じ大きさで,そのため観音堂も大きいお堂です。

丸の内に竪三つ引き両 060 天総山林香院 Rinkoin
2006.08.19

林香院 本堂と弁財天堂
林香院 本堂と弁財天堂 2015.3.28撮影

曹洞宗。天正年間(1573~95)に福島県内に創建され,伊達家と共に米沢,岩出山と移り,伊達政宗による仙台開府の際,慶長6年(1601)に現在地に移った。 江戸時代に2度の火災があり,堂はその後再建されている。仙台七福神の弁才天像がある。林香院の移転前からこの地に祀られていたものといわれている。

✽ 所在地:若林区新寺5丁目1-1,本尊:釈迦牟尼仏

 

※写真を2015.3.28撮影に差し替えました

林香院山門
林香院山門 2015.3.28撮影
林香院山門扁額
山門扁額
林香院本堂扁額
本堂扁額

「新寺」以前からこの地にある古刹。
山門は堂々たる八脚入母屋の仁王門です。本堂なみに威厳のある佇まいですね。



平成27年(2015)3月28日再訪

林香院西山門
西山門
林香院真民詩碑
真民詩碑

本堂向かって左手方向には西山門があります。こちらは薬医門。高さはあります。そして山門手前左側に坂村真民の詩碑「念ずれば花ひらく」。昭和62年,真民本人を招いて建碑を祝ったとのことです。 真民の詩碑は阿弥陀寺にもありましたね。

久我竜胆 五七桐061 錦柳山洞林寺 Torinji
2006.08.19

曹洞宗。正保2年(1645)開山。妙心院末寺。平成2年建造の仏足跡がある。

✽ 所在地:若林区新寺5丁目4-28,本尊:聖観音菩薩

洞林寺山門
洞林寺山門
洞林寺入口
洞林寺入口

洞林寺 菅谷不動堂と山門
菅谷不動堂と山門

この不動堂は明治40年(1907)宮城県利府町の菅谷不動の分霊を勧請したもの。

洞林寺山門扁額
山門扁額
洞林寺仏足跡
仏足跡

釈迦の足裏には瑞祥七相と呼ばれる美しい指紋があったとされ,仏足跡(ぶっそくせき)は釈迦が布教で歩いたことを象徴しています。(説明碑より)置いてある5円玉は?


平成26年(2014)11月22日再訪

洞林寺本堂2014
洞林寺本堂2014

久我竜胆 五七桐062 昌峯山林松院 Rinshoin
2006.08.19

林松院山門

曹洞宗。松音寺の末寺。 代々,伊達藩の御殿医を勤めた錦織家19代久庵により慶長12(1607)創建された。開山は錦織家出身の松音寺7世霊堂文徹大和尚で,当寺は大和尚の菩提寺である。

✽ 所在地:若林区新寺5丁目5-3,本尊:釈迦牟尼仏

林松院本堂
林松院本堂

山門前の大きな木が印象的。全体的に境内がきちんと手入れされていて気持ちのいいお寺です。ここにも仏足跡があるとのことですが,見落としてしまいました。

 

林香院,洞林寺,そして林松院と,ここまで「林」のつくお寺が3つ並んでいます。新寺通を挟んで向側には大林寺もあるし…。ただの偶然でしょうか?


平成27年(2015)3月28日再訪

林松院入口
林松院入口
林松院山門扁額
山門扁額
林松院本堂扁額
本堂扁額

相変わらず手入れの行き届いた境内です。やはり今は春浅く,緑の季節が待ち遠しい。


久我竜胆 丸の内に竪三つ引き両 五七桐063 永福山東秀院 Toshuin
2006.08.19

東秀院入口

曹洞宗。蔵王の保昌寺の末寺。寛永2年(1625)開山。開山当時は現宮城野区小田原にあったという。 寛永14年(1637)からの第1次城下拡張で新寺小路に移ってきたものと思われる。 山門脇に天保4年(1784)建立の飢饉供養塔,平成4年(1993)建立の仏舎利塔がある。 仏舎利はミャンマー仏教会への協力に対する返礼としてミャンマー仏教会からアジア仏教徒協会を通じて東秀院に贈られたものである。

✽ 所在地:若林区新寺5丁目5-1,本尊:釈迦牟尼仏

東秀院山門
山門 2015.3.28撮影

ここの山門もお隣と同じく入母屋八脚門です。

東秀院 天保飢饉供養塔
天保飢饉供養塔
東秀院仏舎利塔
仏舎利塔

ここも境内がきちんと手入れが行き届いていて気持ちがいいお寺です。仙台城下拡張の際,元寺小路から新寺小路に移ったお寺がどれかは, 今となっては定かではないそうですが,この東秀院以東のお寺ではないかとの説もあるようです。



平成27年(2015)3月28日再訪

東秀院本堂
東秀院本堂
東秀院山門扁額
山門扁額
東秀院本堂扁額
本堂扁額

寺紋ですが,山門大棟も本堂大棟も中央に三つ引き,両脇に五七桐と久我竜胆と三つ並べています。


丸の内に竪三つ引き両 064 弘誓山正雲寺 Shounji
2006.08.19

正雲寺入口
正雲寺入口

浄土宗。慶長15年(1610)開山。境内には八ッ塚の地名の起源ともいわれる伝説につながる八地蔵もある。

✽ 所在地:若林区新寺5丁目8-37,院号:龍宅院,本尊:阿弥陀如来

正雲寺山門
正雲寺山門
正雲寺本堂 中央脇の2本の木が特徴的
正雲寺本堂 中央脇の2本の木が特徴的

正雲寺六地蔵
正雲寺六地蔵

★八ツ塚伝説
昔,重罪人の火あぶりの刑を見た8人の子供たちが,遊びでそのまねをして1人の子供を罪人に見立てて縛り上げ, 藁などを集めて火をつけたところ,火は大きく燃え上がり,その子は本当に焼け死んでしまった。 子供たちはどうすることもできず,亡骸をそっとそこに埋めて帰ったが,夜になって大人たちが探し当て,事の次第が明らかになった。 親たちは供養のために身代わりの八つの地蔵を建て弔ったという。

 


前面六地蔵の間に首の欠けた小さな地蔵が八体。哀しい伝説です。


平成27年(2015)3月28日再訪

正雲寺境内仏
正雲寺境内仏 山門を入ってすぐ左
正雲寺山門扁額
山門扁額

065 稱名山道仁寺 Dojinji
2006.08.19

浄土真宗大谷派。東本願寺の末寺。寛永3年(1626)開山。宝永5年(1708)の火災で詳しい歴史は不明となった。現在の本堂は昭和4年(1929)に再建されたもの。

✽ 所在地:若林区新寺5丁目9-40,本尊:阿弥陀如来

道仁寺山門扁額
山門扁額
道仁寺山門

道仁寺入口2006
道仁寺入口2006
道仁寺本堂前 タブの木が生い茂る
道仁寺本堂前 タブの木が生い茂る


平成27年(2015)3月28日再訪

道仁寺入口2015
道仁寺入口2015

入口標柱が変わっています。もしかして大震災で破損したのでしょうか?

 

再度の訪問なので,今度は本堂をしっかり木の陰にならないように撮りました。初歩です。

道仁寺 タブの木
道仁寺 タブの木

タブの木は樹齢200年以上とのこと。3月でもこんなにも繁っています。

道仁寺本堂2015
道仁寺本堂2015

行者輪宝 066 成就山大徳寺 Daitokuji
2006.08.19

浄土宗。元和2年(1616)開山。

✽ 所在地:若林区新寺4丁目9-7,院号:莊嚴院

大徳寺入口
大徳寺

大徳寺山門扁額
山門扁額 2018.4.16
大徳寺本堂扁額
本堂扁額 2018.4.16

丸の内に竪三つ引き両 067 森城山大林寺 Dairinji
2006.08.19

曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏,寛文13年(1672)の作(壱寸八分之釈迦像篭置,弘法大師の実作と云う),脇立には大聖文殊,大行普賢両菩薩を安置する。天文元年(1532)3月,伊達家14世稙宗の開基で,始め羽州置賜郡米沢鮎貝村にあり,弘治2年(1556)輪王寺5世源庵守真和尚を以て開山となし,稙宗夫人泰心院殿(永禄10年2月10日寂)並びに,稙宗の弟大林寺殿(景宗)(天文12年5月16日寂)両位牌を同寺に安置し,大林寺殿を以て当寺の開基と定められた。其の後政宗に随って岩出山に移り,更に仙台に移るに及んで此の地を賜り,忠宗のとき19石余の寺領を附し着座格に班せられた。維新の変革に際して藩の外護を失い,明治32年(1899)新寺小路西福寺を富山県射水郡新滝町於津に移すに当たり,事実上之を大林寺に合併する事となり,鐘楼,梵鐘等をも同時に移管されたが,昭和19年(1944)第二次大戦末期,政府の命により梵鐘等供出させられた。現本堂は寛政6年(1794)建築。位牌堂は昭和11年(1936)建築。庫裡,昭和43年(1968)建築。なお本堂は昭和44年(1969)大改修を施工せるもの也。昭和47年5月吉日(境内掲示の大林寺沿革史から抜粋)
かつての八ッ塚古墳のひとつが境内にあったという。連坊小路小学校は明治19年(1886)この寺の境内で開校した。 仙台出身の詩人で「荒城の月」の作詞者,土井晩翠の菩提寺。晩翠は明治38年(1963)逝去しここに葬られた。山門前に詩碑がある。境内の観音堂は本尊千手観音で仙台三十三観音第14番札所。

✽ 所在地:若林区新寺4丁目7-6,本尊:釈迦牟尼仏(寛文13年(1672)弘法大師の実作)

順に寺号と仙台三十三観音の標柱,土井晩翠墓所を示す標柱,参道

新寺通りからの入口の左右にそれぞれの標柱が建てられています。参道はこの辺の寺院にしては長め。途中で仁王が睨みを利かせています。

大林寺山門
山門は背が高い
大林寺山門扁額
山門扁額
大林寺本堂
大林寺本堂扁額
本堂扁額

順に土井晩翠の墓,観音堂,妙理堂,土井晩翠詩碑

観音堂は仙台三十三観音の第14番札所。慈覚大師作の千手観音を祀る。妙理堂は山内鎮守の妙理菩薩(白山大権現)を祀る。土井晩翠詩碑は山門前にあります。「おほひなる 真ひるの夢を 見よかしと 生い先長き 子らに望まん」慈愛に満ちてます。


平成27年(2015)3月28日再訪

大林寺本堂2015
大林寺本堂2015

本堂正面扉に青いシート?修繕中かもしれません。それと,本堂前の2本の常夜灯は足が短くなりました。これは大震災の影響かもしれません。

087 北原山正楽寺 Shorakuji
2007.01.13

正楽寺入口

浄土真宗。かつては大谷派だったが現在は単立。戦国時代,現在の名取市笠島に創建,その後に真玄坊と号す。次に岩出山に移り,後に浄泉寺と称した。 4世明慶の時に若林区日辺北原に移り,福泉坊と称したが,藩祖伊達政宗公が深く僧明慶に帰依し,慶長12年(1607)寺地を賜り,一宗の僧録司となる。この時に寺号を「真正極楽寺」とし,これを略して正楽寺という。慶長13年(1608)藩から平泉中尊寺蔵王堂の古鐘(秀衡四十八鐘の一つ)の寄進を受け,寺宝とする。慶長14年(1609)現在地を賜り移転。宝永5年(1708)の大火で焼けた後,享保5年(1720)に再建された。明治4年(1881)大谷派県内24か寺の触頭(ふれがしら)。本堂は明治22年(1899)に改修されている。山門は寛保2年(1742)建築。本堂,山門ともに古い木造で残っており,仙台市の登録有形文化財に指定されている。

✽ 所在地:若林区新寺2丁目6-35,本尊:阿弥陀如来

正楽寺山門
正楽寺説明

山門は3間1戸の八脚楼門。2階部分は鐘楼だった。 大火前の寛永3年(1626)に若林城裏門を寄進されたものであったといいます。同じ形で再建されたのでしょうか。

正楽寺本堂
本堂扁額
本堂扁額

やはり歴史の趣を感じる古い本堂。惚れ惚れします。扁額は「真正極楽寺」となっています。真宗の仙台地方における最初のお寺だそうです。


088 應瑞寺 Ozuiji
2007.01.13

応瑞寺

浄土真宗大谷派。かつての正楽寺塔頭。正楽寺に滞在していた山形の僧が天和2年(1682)もしくは貞享2年(1685)に開山したといわれている。

✽ 所在地:若林区新寺2丁目6-3

 

山号がわかりません。

089 無量山圓徳寺 Entokuji
2007.01.13

圓徳寺本堂扁額
本堂扁額

浄土宗。新寺の成覚寺の末寺。慶長年中の開山。

✽ 所在地:宮城野区榴岡4丁目10-1,院号:壽経院

慶長2年(1597)の墨書銘がある木造阿弥陀三尊像があり,仙台市指定文化財になっています。

圓徳寺入口
圓徳寺

月影杏葉 徳川葵090 真成山報恩寺 Hoonji
2007.01.13

報恩寺入口

浄土宗。萬治2年(1659)には既に開山していた記録がある。弘化2年(1845)の火災で全焼したが,その後再建された。 かつて境内に蓮池があり,その中に弁財天堂があったことから,蓮池報恩寺とも呼ばれた。蓮池の跡は隣接する「蓮池公園」になっている。 弁財天堂は現在,本堂前北側にあり,金華山の弁財天の分身といわれる「身分け弁天」が祀られている。

✽ 所在地:若林区新寺2丁目4-10,院号:蓮池院,本尊:木造阿弥陀如来立像

報恩寺本堂
報恩寺本堂
報恩寺弁財天堂
弁財天堂

本堂の北側に弁財天堂があります。 弁財天堂は…屋根が…。 堂前の小さな橋はかつて蓮池に架かっていた名残?堂左に文化元年(1804)建立の蓮花塚。