柳町から土樋

柳町から土樋地図

 市内繁華街の一番町南端から南に約1㎞のこの道筋は,かつての町名では北から柳町,北目町,上染師町,田町,猿引町,土樋と続き広瀬川に至る。田町以北は旧奥州街道筋である。藩政時代,柳町はいわゆる御譜代町で茶の商業特権を許された商人の町,北目町は奥州街道の伝馬宿,上染師町は仙台開府直後から絹物を扱う染師が住んだ町である。田町は田を潰して割り出されたためこの名があり,仙台城の普請に携わった町人が住み,後に紙専売の商人町となった。土樋の名は清水小路(現仙台駅の南)から広瀬川,分岐して東に向かう用水を土の樋で流したことに因む。かつてこの地には侍屋敷が並んでいた。いずれも仙台開府当時からの由緒深い地区である。

068 教楽院大日堂 Kyorakuin dainichido
2006.08.27

教楽院大日堂全景

 仙台の大町,立町,肴町,南町,柳町,荒町の6ヶ町は伊達政宗公に従って,米沢から岩出山,仙台と移って来た町人町で,昔は御譜代町と称した。柳町は初め元柳町の地に置かれ,寛永の初めころここに移って今柳町と称した。
慶長6年正月政宗公の仙台城下都市計画にあたり町割りに使用した縄の一部をこの地に集めて焼き,灰を埋めた所に城下鎮護のため堂を建て,大日如来を安置したといい伝える。別当を柳生山教楽院と号し,京都醍醐の三寶院に属する当山派の山伏寺で元和の昔から連綿として栄え一朝事ある時は伊達の間諜を任務とし,平常は寺子屋を開いて町内児童の教育に当たった。堂の東を教楽院丁と称するのは別当寺の名に因んだもので,別名大日横丁とも称する。
堂は柳町のお大日さんとして昔からひつじ,さる歳生まれの守本尊として市民に親しまれた。大正8年3月2日南町の大火並びに昭和20年7月9日の戦災に焼失し,久しく仮堂であったが町内の努力によって昭和28年7月現在の堂を再建した。(山門脇縁起説明板)

✽ 所在地:青葉区一番町1丁目11-3,本尊:大日如来,例祭:7月19,20日

教楽院大日堂
教楽院大日堂山門扁額
山門扁額

真っ赤な常設提灯が境内をぐるりと囲う。山伏寺というイメージとは異なりますが,「お大日さん」と親しまれるに相応しい華やかさがあります。 境内は綺麗に掃き清められていて気持ちがいい。ビルの谷間の神聖な空間を狛犬ならぬ狛羊と狛猿?が守っています。


069 二十三夜堂 Nijusanyado
2006.08.27

別当は天台宗北目山賢聖院(けんしょういん)。延久元年(1069)北目(現在の仙台市太白区郡山)に創建され,その後荒廃したが, 康暦2年(1380)北目館主藤原宗房の祈願により中興再建された。慶長年中(1600~1615頃)伊達政宗が当地に移建。午年生まれの守本尊「勢至菩薩」を祀る。 この二十三夜堂という名称は,月の化現である勢至菩薩の月縁日が23日であり,この夜に人々が集まって飲食をしながら月の出を待つ講(二十三夜講)を行ったことに起因する。

✽ 所在地:青葉区北目町7-11,本尊:得大勢至菩薩

二十三夜堂山門
二十三夜堂

何ともいえずロマンチックな名前。当然この山門は現代の造作でしょうが,名前に相応しいセンスを感じます。こういうのもアリですね。 ここで見る月はどんなにか神秘的でしょう。二十三夜といえば下弦の月。深夜12時,真夜中の月の出です。
本堂脇には午の干支に因んだ絵馬がいっぱい掛かっていました。

076 秋葉山神社 Akibayama jinja
2006.09.10

秋葉山神社

由緒等わかりません。北にマンション,南にアパート,裏は小学校にぴったり囲まれて窮屈そう。 綺麗に保たれていますが,お参りの鈴も賽銭箱もなく,一見神社には見えません。

✽ 所在地:青葉区五橋2丁目3-5

077 文殊院大日堂 Monjuin dainichido
2006.09.10

田町大日堂 2008.12
田町大日堂 2008.12 HP読者からの頂き物

 大同(806)年間,弘法大師が羽州湯殿山を開かんと東国に下向の際,会津若松の霊地を相して一山を開き自刻の大日如来(一寸八分)を本尊として眞隆寺を創建開基す。後年,諸堂荒廃に帰せしが本田内蔵なる僧,その尊像を奉持し諸国漫遊の途次,慶安2年(1649)仙台に来り南田町に一宇を建立して,眞護山隆興院宗海寺と号し別当となる。享保,寛延(1716-1750)の頃に,天台宗誓安寺末,安永(1772-1780)頃には天台宗光圓寺の末寺となり,眞護山隆興院宗海寺,眞難山龍興院,又は龍興寺とも称されていた。同寺は後に京都醍醐の真言宗三宝院の末寺となり,文殊院と改められる。明治初年,里見明光住職を最後に廃寺されんとしたが,明治36年頃信徒町内有志の協力により再興された。明治40年,文殊院と改め町内にて護持されてきたが,昭和20年7月の戦災にて焼失する。その後町内有志により仮堂が再建され,久しく祭礼等行ってきた。この度,町内各家庭崇敬者等の尽力により,御堂復興を発願され平成20年12月22日落慶し,現在に至っている。なお当院大日如来は未年生まれ,申年生まれの十二支の守り本尊でもあり,崇敬護持されんことを願うもの也。平成20年12月吉日(境内田町大日堂(文殊院)の由来説明板)

✽ 所在地:青葉区五橋2丁目9-12,本尊:大日如来

かつての田町大日堂
かつての田町大日堂 2006撮影
田町大日堂境内稲荷社
境内稲荷社

2008年に社殿が新築されました。写真は当HP読者からの頂き物です。ありがとうございました。この際,説明記事も全部新しくしました。社殿は随分と立派になりました。こちらの大日堂も地元の田町で「お大日さん」として親しまれています。

丸の内に竪三つ引き両 078 大蔵山松源寺 Shogenji
2006.09.10

曹洞宗。輪王寺の末寺。永正18年(1521)白河に創建。

✽ 所在地:青葉区土樋1丁目6-30,本尊:釈迦牟尼仏

松源寺山門
松源寺本堂

すぐ南は崖になっていて広瀬川です。「松源寺淵」と呼ばれ,河童の民話があります。かつては溺れる事故が多かったんでしょうね。ここまでの道筋,土樋は広瀬川に面した都心のマンションが立ち並んでいますが,藩政時代は侍屋敷が並んでいたということで,今でも大きなお屋敷が点在しています。

079 慈眼山西光院 Saikoin
2006.09.10

真言宗。慶長10年(1605)創建,元禄2年(1689)再興。

✽ 所在地:若林区土樋1丁目11-3,本尊:十一面観音(平安末期)

西光院
西光院山門

国道4号からビルの合間を南に入ったところにあります。西の方に出口かと思いきや,こちらに山門がありました。
ここの裏手も広瀬川で,こちらも「西光院淵」と呼ばれていたそうです。広瀬川は今も中流より上は自然崖が残っています。

折敷に三文字 118 広沢山真福寺 Shimpukuji
2007.03.03

真福寺

 時宗。安国上人が奥州巡教中の正中2年(1325)当時葛西氏が支配していた登米に開山。葛西氏滅亡後,岩出山に再興し,政宗に従って仙台に移転。 境内に市内最古の肖像彫刻である安国上人坐像を安置する安国堂と子育明神を祀る鎮守堂がある。

✽ 所在地:若林区土樋1丁目11-16,院号:無量院,本尊:阿弥陀如来

真福寺本堂扁額
本堂扁額

仙台の時宗のお寺は新寺の阿弥陀寺とここだけです。

真福寺 安国堂と鎮守堂
安国堂(奥)と鎮守堂(中)

119 縛地蔵尊 Shibari jizoson
2007.03.03

縛地蔵尊
縛地蔵尊扁額

 寛文8年(1668)寛文事件の際,伊達兵部殺害を企てた伊東七重郎重孝を斬首した小人頭萬右衛門が七重郎の供養に建てたと伝わる。 石地蔵は戦災で焼け崩れたが昭和34年(1959)再建された。願掛けのため縄で縛られている。(境内掲示)

✽ 所在地:青葉区米ヶ袋3丁目5-15,本尊:石造地蔵

敷地は米ヶ袋運動公園。近所の人?数人がストレッチや軽運動をしていました。